塩野直道(読み)シオノ ナオミチ

20世紀日本人名事典 「塩野直道」の解説

塩野 直道
シオノ ナオミチ

大正・昭和期の算数教科書編纂者 啓林館取締役。



生年
明治31(1898)年12月25日

没年
昭和44(1969)年5月10日

出生地
島根県

学歴〔年〕
東京帝大理学部物理学科卒

経歴
松本高校教授を経て、大正14年文部省図書監修官に就任し、戦時下の国定教科書「小学算術」(昭和10年より使用、通称「緑表紙」)の編纂で中心的役割を果たす。20年金沢高師校長に就任、戦後公職追放をうけ、27年解除、のち出版社啓林館取締役となる。また検定教科書「算数」を編集した。「緑表紙」は、今世紀初頭からの数学教育近代化の内容を取り入れており、算数教育に与えた影響は大きい。主著に「数学教育論」「日本の暗算」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「塩野直道」の解説

塩野直道 しおの-なおみち

1898-1969 大正-昭和時代の教育者
明治31年12月25日生まれ。大正14年文部省図書監修官となり,「小学算術」(通称「緑表紙」)を編集。昭和20年金沢高師校長。戦後,新興出版社啓林館取締役となり,検定教科書「算数」を編集した。昭和44年5月10日死去。70歳。島根県出身。東京帝大卒。著作に「数学教育論」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の塩野直道の言及

【暗算】より

…黒表紙の次に作られた国定教科書(緑表紙)では,〈数理思想の開発〉の名のもとに暗算は強化され,769+76といった3位数+2位数まで暗算でやるようになり,さらに次の教科書(水色表紙)では,250-24-68-75というものまでが暗算に入れられた。 第2次世界大戦後もしばらくこの傾向は続いたが,50年代の終りに,暗算と筆算に関して数学教育上有名な論争が数学者の遠山啓(1909‐79)と塩野直道(1898‐1969)の間で行われた。緑表紙の編集責任者であった塩野は,暗算には日常生活における実用的価値と数概念に基づいた計算を意識的に使うことにより数学的思考を絶えず働かすという理論的価値があり,暗算を計算の中心に位させるという暗算中心の計算体系を主張したのに対して,遠山は,暗算には個人差が多く,筆算は安易さからもその形式のもつ発展性からも計算の中心であり,これを早くから指導すべきであるという筆算中心の計算体系を主張した。…

※「塩野直道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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