国定教科書(読み)こくていきょうかしょ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

国定教科書
こくていきょうかしょ

全国の学校で使用させるために国で著作した教科書。日本の小学校では 1903年に第1次の編集が行われ,04年から国定教科書を使用。以後 09年,18年,33年,41年と4回にわたって全面的な修正が行われ,43年から師範学校中等学校でも使用したが,第2次世界大戦後の教育改革により,小,中,高等学校ともに検定教科書を使用することとなった。

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デジタル大辞泉の解説

こくてい‐きょうかしょ〔‐ケウクワシヨ〕【国定教科書】

国の機関(文部省)が著作した教科書。明治36年(1903)小学校教科書国定制度が確立、昭和18年(1943)中等学校・師範学校も国定制となったが、同22年(1947)検定制に移行。→教科書検定制度

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百科事典マイペディアの解説

国定教科書【こくていきょうかしょ】

執筆・編集を政府機関(文部省)が行い,政府が全国の学校で一律に使用させる教科書。その内容に基準性を与えようとしたものだが,結果的には,教科書が画一化し,軍国主義的記述などその内容に国家権力の意図するものが入ってくる。日本では,1903年から小学校の教科書が国定とされ,忠孝の教育が強調された。1948年以降は検定制(教科書検定制度)に移行したが,この制度についても批判は多い。
→関連項目教科書裁判修身教育

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世界大百科事典 第2版の解説

こくていきょうかしょ【国定教科書】

政府機関あるいは政府の指定する機関が執筆・編集し,政府により全国の学校で一律に使用を強制される教科書。日本の場合,小学校では1904年4月から,中学校では43年4月から,ともに49年3月まで使用された。1886年小学校,中学校,師範学校について教科書検定制度が採用され,教科書に対する国家統制が強化され,ついで90年の教育勅語発布以後は,この勅語の精神にのっとる教育の実現のため,修身などの教科書の国費による編纂を求める建議が衆議院や貴族院で出されるようになった。

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大辞林 第三版の解説

こくていきょうかしょ【国定教科書】

国(文部省)が著作し全国の学校で使用させた教科書。小学校教科書については1904年(明治37)から用いられ、第二次大戦中は師範学校・中等学校でも使用された。1947年(昭和22)に廃止され、検定教科書が使用されるようになった。 → 教科書検定

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

国定教科書
こくていきょうかしょ

国が編集作成した教科書。日本では、1904年(明治37)から47年(昭和22)まで国定であった。現在、中国、メキシコ、インド、韓国(一部検定)などの教科書は国定である。[沖原 豊]

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世界大百科事典内の国定教科書の言及

【教科書】より

…それは,日本人が守らなければならない教えはすべて〈皇祖皇宗ノ遺訓〉に由来するとした教育勅語の発布(1890)によっていっそう強められた。この教育勅語の精神に合致せず,また時の政府の推進する国策に反する内容が教科書に盛り込まれることをおそれた政府は,1903年小学校教科書を国定制に切りかえた(国定教科書)。国定制のもとでは,政府の思いのままに教科書は書き変えられるようになり,歴史上の人物や事件の評価やとり入れる教材の性格などが,政治的圧力により一気に改められることさえ起こった。…

【読み書きそろばん(読み書き算盤)】より

…一方,〈算〉では洋算に切り替えたものの,〈三千題流〉と称し多数の練習問題に取り組ませるにとどまり,教授法のくふうはみられなかった。 20世紀に入って間もなく,これらの教育も国定教科書によってすすめられることになった。国定本になったとき,いかなる文体を採用すべきかが問題となった。…

※「国定教科書」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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