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算数教育 さんすうきょういく

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

算数教育
さんすうきょういく

小学校の数学教育。教科名は中学校以上では「数学」であるが,小学校では「算数」と呼ばれている。したがって数学教育の一部で,その初歩的,基礎的な段階であるといえる。内容は,小学校教育の目標を達成する観点から編成されており,「日常生活に必要な数量的な関係を,正しく理解し,処理する能力を養うこと」 (学校教育法 18) ,すなわち,数量や図形に関する基礎的な概念や原理の理解,基礎的な知識の習得,技能の習熟などにより,日常の事象を数理的に理解し処理する能力と態度の育成を目的としている。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

算数教育
さんすうきょういく

算数教育」とは、小学校における数学教育のことで、この「算数」という呼称は、1941年(昭和16)、それまでの「算術」を改めたものである。諸外国では「小学校数学教育」といわれることが多いが、わが国では中学・高校の「数学教育」と区別してこうよばれている。小学校は、伝統的に庶民の教育の完成教育機関であり、今日のように、中等・高等教育への接続を念頭に置くものではなかったが、その意識がまだ続いていたからかもしれない。第二次世界大戦後、中等教育が大衆化されるにしたがって、この呼称も内容に沿わなくなっていた。実際、算数教育には、日常生活に必要な知識、技能だけではなく、上級の学校につながる内容もたくさん入ってきており、昔の珠算(そろばん)教育にみられたような機械的な計算技能の訓練よりも、数学的考え方のような思考的陶冶(とうや)や、さらに純粋に数学的な目標も重視されてきている。むずかしい計算は機械に任せられる今日では、より高度の教育にもつながる知識、技能のみならず、数学的考え方や態度を身につけさせることがねらいになったからである。第二次大戦後の算数教育の諸改革は、このための努力であったと考えられる。[平林一栄]

沿革


第二次世界大戦前まで
わが国の算数教育は1872年(明治5)の小学校制度の設立とともに始まった。それまでも、寺子屋や塾で珠算は一部の児童に教えられてはいたが、すべての児童を対象として、欧米流の筆算を中心とする算数を教えることにしたのは当時としては達見であった。当初、これを教えられる教師も少なく、したがってその普及には年月を要したが、明治の中ごろには、ほぼ日本の国情になじんだ形でいちおうの形が整えられた。1903年(明治36)からは教科書が国定となった。これは全国的に使用され、途中何回か内容の改訂はあったものの、ほぼ同じ体裁のままで34年(昭和9)まで続いた。この教科書は表紙が薄墨色であったため黒表紙本といわれており、人々にある固定した算数教育のイメージを植え付けることになった。算数科には、成人の社会の仕組みのなかに組み込まれている数学的な知識や技能を授ける面と、成長に応じ、しだいに芽生えてくる数学的な考え方を育てる面とが考えられるが、黒表紙本では、前者の面が強かった。書いてある内容は、筆算の範例とその練習題、四則計算を実際場面に適用する四則応用問題(「文章題」ともいう)のみからなり、しかもその適用場面は成人の生活のなかのものが主で、児童の生活や興味は二の次に置かれていた。数学的な考え方を育てる面は教師の指導に任され、実際は人為的なむずかしい問題の解法の型を覚えるだけのものになりがちであった。こうした傾向は、大正から昭和の初めにかけて児童中心の教育思想が盛んになるにつれて、しだいに批判を受けるようになった。これを受けて、文部省(現文部科学省)は1935年(昭和10)に思いきった改革を加えて、新しい教科書を1年用から学年進行で発行していった。この教科書は、表紙は緑で色刷りの美しいものであり、内容も児童の生活を中心とし、それまでのものより広い範囲の数学的内容を取り上げ、児童の数学的な考え方の芽生えを育てるねらいをはっきり表に出した画期的なものであった。これを緑表紙本といっている。41年には小学校は国民学校と改編され、前述のように算術という名称も算数と改められた。これは「術」という字に伴うイメージが、新しい理念にふさわしくなくなったからである。
 算数(数学)教育改革の動きは、第二次世界大戦後、世界の各国でもあったが、日本では比較的早く第二次大戦前からその方向に進んだといえる。その算数のためにつくられた教科書は青い表紙のもので、青表紙本といわれているが、その基本の性格は緑表紙本と変わりはない。この教科書は第二次大戦直後まで用いられた。[島田 茂]
第二次世界大戦後
第二次世界大戦後の混乱のなかで、1947年(昭和22)占領軍の指令のもとに、アメリカのコース・オブ・スタディーCourse of Studyなどを参考にして「学習指導要領(試案)」が文部省より発行された。それは翌48年に改訂されて、いわゆる「生活単元学習」が始まり、算数は社会科を核とする周辺教科になった。これには早くから種々の批判があったが、51年の学習指導要領ではそれが再確認されたかっこうで、実質的には単元学習は55年ごろまで続いた。58年告示の学習指導要領で、単元学習ははっきりと「系統学習」に切り替えられ、内容も「数と計算」「量と測定」「数量関係」「図形」の4領域からなる数学的な枠組みがつくられた。そしてこの枠組みは算数教育の目標とともに、多少の変化はあったものの、ずっと今日まで保たれている。1968年告示の学習指導要領は、当時世界的な動向であった「数学教育現代化」の影響を受けたもので、小学校でも「集合」や「確率」の内容が取り入れられた。しかし、小学校でこうした現代数学的概念をとりあげることにはかなり無理があったようで、77年告示の学習指導要領では、現代化の精神はかなり後退し、「基礎基本の重視」が合いことばになった。そして、「ゆとりと充実」という一見奇妙な合いことばとともに、内容は多少軽減されたり先送りにされたりした。1989年(平成1)告示の学習指導要領では、情報化社会を見据えて、電卓の活用の推奨が注目されるが、内容の削減、先送りはさらに進んだ。98年には週5日制の実施にそなえて、内容的にも時間数的にもかなり削減された。
 第二次世界大戦後の算数教育は、「計算技能か、考え方か」という、単元学習と系統学習にみられた素朴な思想的対立が、ずっと根底に流れていた。いずれにしても、算数教育は、算数嫌い、算数落ちこぼれ、さらに高じて数学離れの子供の出現という、思いがけない事態への対応に追われてきた。学習指導要領は、改訂のたびに内容や時間数が薄められたが、それもその対策の一つであったのかもしれない。しかし、時代がもっと高度の数学をもっと多くの子供に要求しているのも確かである。すべての子供の学力を高めることと、科学技術の要求する知的エリートを育てること、この二つを両立させなければならないむずかしい時代になってきた。その対策は今後の課題である。[平林一栄]
『数学教育学研究会編『算数教育の理論と実際』(1980・聖文社) ▽岩合一男編『算数・数学教育学』(1990・福村出版) ▽中島健三著『算数教育50年』(1997・東洋館出版社)』

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世界大百科事典内の算数教育の言及

【数学教育】より

…1941年3月,〈皇国ノ道ニ則リ〉国民を錬成することを目的とする国民学校令が発布され,数学は国民科の一つとして〈国運ノ発展ニ貢献スル〉ものとして位置づけられ,算数(算術と数学)と改められて教科書も書きかえられた。以後,算数教育という呼称が定着する。 第2次大戦後それまで勅令の下にあった教育は占領軍の下におかれ,その一部局である民間情報教育部は経験を重視し,〈社会的に有用なるものとしての算数指導〉を推進した(1949)。…

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