日本歴史地名大系 「境田村」の解説 境田村さかいだむら 秋田県:仙北郡仙南村境田村[現在地名]仙南村境田丸子(まるこ)川と厨(くりや)川の複合扇状地上にあり、北は天神堂(てんじんどう)村、東は野荒町(のあらまち)村に接する。文禄三年(一五九四)の中郡領知上り高(六郷の歴史)に<資料は省略されています>とあり、六郷氏の一統久米氏の支配であった。しかし新庄古老覚書によれば、天正一八年(一五九〇)戸沢氏は豊臣秀吉の命により、領内の支城を破却し、その中に境田の名がある。正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に佐野の内境田村とあり、高は記されない。その後寛文年間(一六六一―七三)に独立村となった(「郷村高辻帳御国絵図御改之御願被仰立候御用留書」県立秋田図書館蔵)。 境田村さかいだむら 茨城県:筑波郡谷田部町境田村[現在地名]谷田部町境田古立(ふるだて)村の東、西谷田(にしやた)川東岸に位置。古くは境田新田村と称する。「各村旧高簿」によれば明治元年(一八六八)には谷田部藩細川氏領で村高九七・一三五石。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報