境郷(読み)さかいごう

日本歴史地名大系 「境郷」の解説

境郷
さかいごう

元亀元年(一五七〇)七月六日の武田信玄判物(市川文書)に「境之郷」とみえる。信玄は勘定奉行である市川宮内助昌房を信州諏訪高島たかしま城城代に任命するとともに、そのための知行地として当郷三三貫文・陣夫一人を含む四郷で計二八五貫の地を重恩として宛行っている。甲斐国内の知行地である当郷と後屋敷ごやしき(現山梨市)では、その年貢や普請役を甲府へ運送・納入することが義務づけられており、負担増となった両郷の百姓は度々市川氏に対してその納入を難渋した。このため同四年一〇月二八日の武田家印判状(同文書)では、市川氏の権益を擁護し、百姓層の難渋が厳禁されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む