増田五郎右衛門(読み)ますだ・ごろうえもん

朝日日本歴史人物事典「増田五郎右衛門」の解説

増田五郎右衛門

没年:文政1.6.28(1818.7.30)
生年:安永6(1777)
江戸後期の義民。駿河国(静岡県)志太郡細島村の庄屋。文化13(1816)年秋,駿河・遠江両国は台風の大被害を受け,両国に一揆が多発した。駿河田中でも年貢減免の一揆が起き,田中城大手門に減租訴状を掲げ,かつ城下を打ちこわして減免をかちとった。翌年3月藩は一揆参加者を探索し,多数の百姓を投獄した。その釈放を求めて,五郎右衛門らは首謀者として自首し,逮捕された。文政1(1818)年6月28日,五郎右衛門は頭取とされ打首・闕所,他にふたりの村役人が後押しとして永牢・闕所となった。その死後,村人は刑場の地蔵を首斬り地蔵と崇め,命日を首切り正月と呼んで五郎右衛門を墓参した。また明治・大正期には義民碑を3基も建立,戦後も五郎右衛門祭があり,近年にも墓碑の建て替えと義民顕彰が行われた。

(山田忠雄)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus「増田五郎右衛門」の解説

増田五郎右衛門 ますだ-ごろうえもん

1777-1818 江戸時代後期の農民
安永6年生まれ。駿河(するが)(静岡県)田中藩領志太郡細島村の名主。文化13年台風被害救済をもとめて一揆(いっき)をおこす。藩より年貢の減免をかちとったが,五郎右衛門は自分が首謀者として自首。捕らえられていた農民数十人をすくい,文政元年6月28日処刑された。42歳。

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