マリア(読み)まりあ(英語表記)María

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マリア」の意味・わかりやすい解説

マリア(キリストの生母)
まりあ
Maria

ヘブライ語のミリアムMirjām(高められたもの)に由来するギリシア語の人名で、普通イエス・キリストの母をさす。ヘブライ語をラテン語に直訳して「海のしずく」Stilla Marisと解されたが、これが誤ってStellaと綴(つづ)られたために「海の星」Stella Marisという意味に解釈され、星が聖母の象徴となって、「暁(あかつき)の星」Stella Matutinaや「ヤコブの星」Stella Jacobiなどともよばれた。正式の呼称は「童貞聖マリア」Beata Maria Virgoで、多くの場合B. M. V.という略号が用いられる。女性を尊重する中世の騎士たちは、聖母を「わが貴婦人」Madonnaとよんだので、これが近代語では、Our Lady(英語)、Notre Dame(フランス語)、Unsere Liebe Frau(ドイツ語)と訳されている。

[藤田富雄]

生涯

新約聖書』によると、マリアはダビデ王の血統を引く大工のヨセフと婚約したが、大天使ガブリエルのお告げを受け、聖霊によって処女のまま受胎した(「マタイ伝福音書(ふくいんしょ)」1章18節、「ルカ伝福音書」1章26~38節)。夢のお告げに従ってマリアを妻としたヨセフは、ローマ皇帝アウグストの命による人口調査に登録するためマリアを連れてベツレヘムに行き、馬小屋でイエスが誕生した(「ルカ伝福音書」2章1~20節)。ヘロデ王の幼児殺しを避けて、聖家族はエジプトに逃れ、王の死後、ガリラヤ地方のナザレに移住した(「マタイ伝福音書」2章13~23節)。イエスが十字架につけられたのちは、イエスに託された愛(まな)弟子ヨハネの家に引き取られた(「ヨハネ伝福音書」19章25~27節)。イエスの死後、彼女は弟子たちの一団に加わった(「使徒行伝」1章14節)。しかし、マリアを主人公とする聖書外典「ヤコブ原福音書」Protoevangelium Jacobiには、正典にはない記述がみられる。マリアの父はヨアキム、母はアンナで、長い間子供のなかった両親から、主の使いによる告知のあと奇跡的に誕生し、3歳から神殿で養育され、12歳でヨセフに預けられ、16歳のとき受胎告知を受け、ベツレヘムの近郊の洞窟(どうくつ)でイエスを出産したとされている。

[藤田富雄]

マリア崇敬

処女受胎の神話は、母が処女の純潔を守りながら、神によって子を宿したことを示すもので、大地母神崇拝と処女崇拝との二重の崇拝が認められる。この処女受胎の概念は、生まれた子の神性を説明する手段としてきわめて有効である。マリアの受胎告知は、『旧約聖書』の「イザヤ書」(7章14節)に記されている「見よ。おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる」という預言の実現と解されている。初代教父たちは、この預言の記述に基づいて、繰り返し聖母の処女受胎を説いた。413年のエフェソス公会議において、マリアは単なる「キリストの母」christotokosではなくて「神の母」theotokosであることが決定され、それに反対したネストリウス派は異端として破門された。この時期から「童貞聖マリア」の崇敬がますます広まり、聖母に奉献された聖マリア教会堂が各地に建てられ、聖母についての説話も急速に民衆の間に伝えられた。10世紀以来、聖母小聖務日課が一般信者にも唱えられるようになり、有名な「天使祝詞(アベ・マリア)」も12世紀には主祷文(しゅとうぶん)や信条とともに唱えるように規定された。そのほか、アンジェラスの鐘が祈りの時刻を知らせる「お告げの祈り」「ロザリオの祈り」「悲しみの聖母(スタバト・マーテル)」など、多くの祈祷文や賛歌がつくられた。

 神の母としてのマリア崇敬が広まるにつれて、マリア自身もいっそう神に近いものにまで高められた。それは教義としては、死後の「被昇天」assumptioと、誕生する前の「無原罪の御(おん)やどり」conceptio immaculataという二つの方向をとった。トマス・アクィナスは、マリア崇敬をキリストの礼拝よりは下位にたつが、他の聖人崇敬よりも上位にある「特別崇敬」hyperduliaと名づけたが、マリア崇敬に対する攻撃はプロテスタント側から生じた。ルターはその弊害を戒めただけで、崇敬そのものを廃止しようとはしなかったが、カルバンはマリア崇敬を偶像崇拝として排斥したので、今日でもルター派以外のプロテスタントは否定的である。1854年教皇ピウス9世によって無原罪の御やどり、1950年ピウス12世によって被昇天の教義が正式に公認されるに至った。古代教会の時代から民衆の信仰にとってはマリア崇敬が大きな意味をもっていたので、マリアの奇跡が各地に続出して守護聖人となっている。巡礼の聖地となったフランスのルルド、ポルトガルファティマ、メキシコのグァダルーペ・イダルゴなどに聖母が出現した奇跡の根底には、社会的変動による民衆の苦悩と、その克服への宗教的自覚をはっきりと指摘することができる。また、マリアを通してキリストへという昔からのマリア崇敬を中核として、世界各国、各階層に「マリア信心会」が設立され、マリアの名をつけた無数の「修道会」が活躍している。

[藤田富雄]

マリアの祝日

祝日は非常に多いが、おもなものは、御潔(おんきよ)め(2月2日)、お告げ(3月25日)、被昇天(8月15日)、御(ご)誕生(9月8日)、七つの悲哀(9月15日)、無原罪の御やどり(12月8日)などである。

[藤田富雄]

『日本聖書学研究所編『ヤコブ原福音書』(『聖書外典偽典6 新約外典I』所収・1976・教文館)』『矢崎美盛著『アヴェ・マリア』(1953・岩波書店)』『リューサー著、加納孝代訳『マリア』(1983・新教出版社)』


マリア(1世)
まりあ
Maria Ⅰ
(1734―1816)

ポルトガルの女王(在位1777~1816)。ブラガンサ朝第6代の王で、敬虔(けいけん)女王a Piedosaともよばれる。父王ジョゼ1世José Ⅰ(1714―1777、在位1750~1777)の死後即位すると、ただちに独裁者ポンバル侯を解任したが、彼の政策はほぼ継承され、1780年代から著しい経済繁栄をみた。フランス革命に大きなショックを受け、1792年息子のジョアン(のちのジョアン6世)が摂政(せっしょう)についた。1807年ナポレオン軍の侵入により王室ともどもブラジルに亡命し、リオで死去した。

[金七紀男]


マリア(マグダラのマリア)
まりあ
María ギリシア語

『新約聖書』の「福音(ふくいん)書」によれば、このマリアは、イエスに「七つの悪霊」を追い出してもらい、彼女の出身地と目されるガリラヤ(ティベリヤまたはゲネサレ)湖西岸沿いの町マグダラの名をもってよばれた(「ルカ伝福音書」8章2節)。彼女は、イエス処刑の場から退いてしまった弟子たちとは異なり、イエスの最後を見届けた人たちの1人であった(「マタイ伝福音書」27章55~56節、「ヨハネ伝福音書」19章25節)。イエスの死後、その墓を見に行き、だれよりも先に復活のイエスに会った(「マタイ伝福音書」28章1~10節、「ヨハネ伝福音書」20章1~18節)。

[定形日佐雄]


マリア(ベタニアのマリア)
まりあ
María

ギリシア『新約聖書』に言及される6人のマリアの1人。姉妹マルタおよび兄弟ラザロとともに、エルサレムから約3キロメートル離れた村ベタニア(現エル・アザリエ)に住んでいた、といわれる(「ヨハネ伝福音(ふくいん)書」11章1、18節)。伝承によれば、彼女はイエスのことばを熱心に聞き(「ルカ伝福音書」10章38~42節)、イエスの処刑日が近づいたある夕べに、高価で純粋なナルドの香油一斤(約600グラム)をもってイエスの足に塗り、自分の髪の毛でそれをぬぐった(「ヨハネによる福音書」12章3節)。

[定形日佐雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マリア」の意味・わかりやすい解説

マリア
Maria; Mary

イエス・キリストの母。普通「聖母マリア」と呼ばれる。夫ヨセフとともにダビデの家系とされる。マリアはヨセフと婚約していたが,結婚前に聖霊によって懐胎した。ヨセフは離縁を決意したが,主の使いが夢に現れ,懐胎は聖霊によるものであること,その子は救い主となるべきことを告げたので,眠りからさめるとマリアを妻とし,生れた子をイエスと名づけた (マタイ福音書1・18~25) 。マリアに対してはヨセフに先立ってすでに主の使い天使ガブリエルによる処女懐胎の告知がなされ,イエスと名づけられるべき子が「いと高き者の子」と称せられ,とこしえにヤコブ家を支配するといわれている (ルカ福音書1・26~33) 。聖書の記事からマリアの生涯について詳しく知ることはできないが,神学上は古来マリア論の名称のもとにキリスト論と密接な関係に立ちつつ救済論の主要な契機をなし,マリアの無原罪の御やどり,終生処女性,マリア崇敬,テオトコス (神の母) という称号,被昇天などについて論議がなされている。

マリア[マグダラ]
Maria Magdalena

新約聖書中の人物。聖女。イエスに7つの悪霊を追出してもらい (ルカ福音書8・2~3) ,イエスの十字架上の死を見届け (マタイ福音書 27・56) ,最初にイエスの復活の証人となって使徒たちへの報告の役目を与えられた (マタイ福音書 28・1~10,ヨハネ福音書 20・1~18) マグダラ村出身の婦人。さらにイエスの足に香油を注いだベタニアのマリア (ヨハネ福音書 12・3~7) ,およびイエスにゆるされた罪深い女 (ルカ福音書7・37~48) の2婦人が,6世紀以後,東方教会では別人とされていたが,教皇グレゴリウス1世によって同一人であると定められてから,彼女への崇敬が西方教会で盛んとなった。

マリア[ブルグント]
Maria von Burgund

[生]1457
[没]1482
神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の妃。ブルゴーニュ公シャルル (豪胆公)の娘。フランス名マリ。父の戦死後,遺領を継ぎ,1477年神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世の長男マクシミリアンと結婚。このため東部ブルゴーニュとネーデルラントはハプスブルク家の所領となった。

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