壱町田村
いつちようだむら
[現在地名]河浦町河浦
下島中央部の南西に位置する。現河浦町北端の角山(五二五・九メートル)麓から流れる今田川と現新和町の境から流れる一町田川が合流し、さらに下流で白木河内川を合せて羊角湾に注ぐ一町田川流域に広がっている。一町田川(流路一万三千六〇〇メートル)は天草最長の川で、河口一帯は早くから開けた地である。
中世、天草氏の領内本砥島のうちで、河内浦と称された。
壱町田村
いつちようだむら
[現在地名]三島市壱町田・東壱町田・千枚原
社家村の北東にある村。箱根山西麓を源流とする大場川の支流である沢地川左岸に立地し、両川が合流する地点にある。元来沢地村に属していたが、慶長九年(一六〇四)一〇月一八日の井出正次神領打渡手形(矢田部文書)に「沢地之内一町田」九八石余とみえ、三嶋明神(三嶋大社)領となって壱町田村と称されるようになったと考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 