日本歴史地名大系 「夕顔瀬惣門跡」の解説 夕顔瀬惣門跡ゆうがおせそうもんあと 岩手県:盛岡市盛岡城下茅町夕顔瀬惣門跡[現在地名]盛岡市材木町茅(かや)町の北西詰、夕顔瀬橋東際にあった城下外側にあたる惣門。城下の警衛上から、南東方の新山(しんざん)舟橋詰番所に対応して、北西方に夕顔瀬橋詰番所が置かれた。惣門警備のため、内外の北上川東岸一町半ほど(現在の材木町・梨木町付近)には足軽町として新組(しんくみ)町が置かれ、文化五年(一八〇八)同心二組が新たに召抱えられ、下台(しただい)弓組と称したという(盛岡砂子)。「内史略」はこれを、盛岡藩一一代藩主南部利敬の代に召抱えられた夕顔瀬組としているが、「雑書」慶安五年(一六五二)五月二四日条に「夕顔瀬御番所ニて留物、米・女・駒・蝋・漆・くろかね類也」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by