茅町(読み)かやまち

日本歴史地名大系 「茅町」の解説

茅町
かやまち

[現在地名]三島市加屋町かやまち清住町きよずみちよう三好町みよしちよう

三島町西端に位置する町で、東は東海道に沿って町に続く。萱町とも。寛文八年(一六六八)の拝借米渡帳(三島市誌)町名みえ、町の長さ一三八間。貞享五年(一六八八)の萱町の家数四七(家持三三・借屋九・寺門前五)、町の長さは同じ(三島町外万覚帳)。慶応三年(一八六七)には高一〇五石余、家数五二(本家三六・地借七・店借九)・人数二〇一(「宗門人別取調書」三島市誌)。竪一間・横三間の石橋が三所架かっていた(前掲万覚帳)。宿場境という位置にあることから付近には種々の特別な設備が備わっていた。

茅町
かやまち

[現在地名]三原市西宮町

三原八幡宮の南から小西こにし谷東側丘陵南東の八坂やさか神社辺りまでの街道沿いに形成された市町

「国郡志下調書出帳」によると、町分東西五町三四間(南北四四間)のうち、町内は二町三九間半、東の西にし町境より当町の人家の東端まで二町二六間、西端から西野にしの村境まで二八間半、東から板屋いたや町・五日市いつかいち町・七日市なぬかいち町に分れ、戸数六三のうち商売人・作人居宅五四、職人四、社人一、町役人四、人口一五八、牛五。

茅町
かやちよう

[現在地名]盛岡市材木町ざいもくちよう

材木町の北西につづく二町ほどの町人町(「盛岡砂子」など)。北西端は北上川に架かる夕顔瀬ゆうがおせ橋際から同川河岸の新組しんくみ(元文城下図では夕顔瀬片原丁)につづき、南西を同川が限る。北西端を北東に折れると山伏やまぶし小路に接続する。萱町とも記す。寛永城下図には久慈くじ町と記され、両側町が形成されている。当初、久慈地方(現在の久慈市方面)から城下に移住した者を居住させたのが、町名の由来とされる。

茅町
かやまち

[現在地名]津山市茅町

西の安岡やすおか町とともに津山城下最西端の町。出雲往来の両側に東西に連なり、東は西寺にしてら町、南は吉井川、北は小田中おだなか村。正保城絵図は安岡町をも総括して「茅屋町」と記す。元禄町絵図では町屋があり、宝永町絵図に茅町とみえる。「武家聞伝記」正保三年(一六四六)一〇月条に西茅袋にしかやふくろ町とあるのがこれにあたるか。「津山誌」によると、安岡町の浪人渡辺藤左衛門によって城下への編入が請願され、同町とともに寛文六年(一六六六)に町分となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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