外桜田町(読み)そとさくらだちよう

日本歴史地名大系 「外桜田町」の解説

外桜田町
そとさくらだちよう

[現在地名]千代田区霞が関かすみがせき二丁目・永田町ながたちよう一丁目

明治五年(一八七二)に成立。西日比谷にしひびや町の西、霞ヶ関一丁目の北、永田町一丁目の東に位置する。北側は桜田堀と接し、北東部に外桜田門があり、皇居外苑こうきよがいえんに通じる。霞ヶ関一丁目との間の坂道を霞ヶ関といい、江戸時代には外桜田の武家地の一画をなし、通称桜田御門外さくらだごもんがいまたは霞ヶ関といった。慶長期(一五九六―一六一五)以来ほとんどを安芸広島藩浅野家上屋敷が占め、北側に出羽米沢藩上杉家下屋敷・山城長岡藩(のち摂津高槻藩)永井家上屋敷や旗本井上太左衛門らの屋敷があった。宝暦八年(一七五八)北東角が豊後杵築藩松平家上屋敷、明和四年(一七六七)にその南が美濃大垣新田藩戸田家上屋敷となり、北側は文化五年(一八〇八)時点で旗本石川家と上田家の屋敷があったが、文政八年(一八二五)両屋敷とも収公され浅野家が上屋敷に囲い込み、松平家・戸田家両屋敷とともに幕末に至る(沿革図書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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