日本歴史地名大系 「外輪野村」の解説 外輪野村そとわのむら 富山県:婦負郡婦中町外輪野村[現在地名]婦中町外輪野山田(やまだ)川中流左岸の河岸段丘上に位置する。段丘上の大部分を占め、人口・面積ともに音川(おとかわ)地区最大である。北は中尾(なかお)村、南は高山(たかやま)村。地名の由来は当村は高い原野で外部が低く、またその周囲も高山で囲まれ、外を輪のように囲まれている野であるため名付けられたと伝える(婦負郡志)。開発は永禄年間(一五五八―七〇)に始まり、当時高一〇石余であったが、戦国期に上杉謙信は越中討伐で下瀬(しもぜ)村釣瓶(つるべ)城の神保勢と対陣し、外輪野台に大構(おおがまえ)・小構(こがまえ)・押場(おしば)などとよぶ陣地を築き、以後いちだんと開かれたと伝える(同書)。明暦年間(一六五五―五八)から始まる外輪野用水の開発に伴う近村からの移住者によって大村へと発展した(婦中町史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by