婦中町(読み)ふちゆうまち

日本歴史地名大系 「婦中町」の解説

婦中町
ふちゆうまち

面積:六八・〇四平方キロ

町名は婦負郡の中央という意味もあるが、「婦」は婦負郡発祥の神と伝える鵜坂うさか神社の神名によるもので、また「中」はかつての戸長役場が中名なかのみよう村にあったので、これらを総合して命名したといわれる。東は神通川を隔てて富山市に相対し、南は標高二六八メートルを主峰として東西に走る丘陵八尾やつお町と山田やまだ村に、北西は一七九メートルを主峰として南北に走るうし岳山系の丘陵で砺波となみ市や射水いみず小杉こすぎ町に境し、さらに七六・八メートルを主峰とする呉羽くれは山に延びる丘陵で富山市に隣接する。町域は丘陵部と平野部に分れ、平野部は神通川・井田いだ川による扇状地で全町の約五〇パーセントを占める。丘陵部の大部分音川おとかわ地区で、集落は山田川に沿った河岸段丘上に立地し、水田耕作中心の農山村を形成している。平野部は傾斜の緩い扇状地であり、河川の合流点が多いことが大きな特色である。合流点付近には川に沿って自然堤防ができ、ここに集落が発達した。JR高山本線が平野部を南北に通り、国道三五九号が東西に、国道四七二号が南北に走る。

呉羽山丘陵の南に続く友坂ともさか羽根はね丘陵から音川丘陵にかけて、および丘陵部と井田川との間の平野部に遺跡が立地する。旧石器時代の遺跡では、音川地区の細谷ほそや遺跡が石器製作所跡として知られる。旧石器時代末期から縄文時代草創期では、丘陵縁辺部の新町しんまちII遺跡や千坊山せんぼうやま遺跡から柳葉形尖頭器が出土している。縄文時代中期以後遺跡の数が増加し、富山市境の二本榎にほんえのき遺跡から山田村に近い牛滑うしなめり遺跡まで丘陵沿いに遺跡が連なる。弥生時代以降は遺跡の多くが丘陵縁辺部から平野部にかけて立地する。集落跡としては保養園前ほようえんまえ遺跡や高日附たかひづき遺跡・富崎とみさき遺跡があり、墳墓には四隅突出型を含む富崎千里ちさと古墳群、友坂古墳群、王塚おうづか古墳や勅使塚ちよくしづか古墳を含む羽根古墳群などがある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報