多々羅田村(読み)たたらだむら

日本歴史地名大系 「多々羅田村」の解説

多々羅田村
たたらだむら

[現在地名]印西市多々羅田・大塚おおつか内野うちの原山はらやま

和泉いずみ新田の南にあり、寛文期(一六六一―七三)と推定される国絵図では印旛いんば沼に通じる水路(神崎川)に面する。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では多々羅村として高一四石余、旗本井上領。ただし元禄郷帳には多々羅田村とある。その後佐倉藩領となり幕末に至る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

[名](スル)二つ以上のものが並び立つこと。「立候補者が―する」「―政権」[類語]両立・併存・同居・共存・並立・鼎立ていりつ...

連立の用語解説を読む