多々羅田村(読み)たたらだむら

日本歴史地名大系 「多々羅田村」の解説

多々羅田村
たたらだむら

[現在地名]印西市多々羅田・大塚おおつか内野うちの原山はらやま

和泉いずみ新田の南にあり、寛文期(一六六一―七三)と推定される国絵図では印旛いんば沼に通じる水路(神崎川)に面する。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では多々羅村として高一四石余、旗本井上領。ただし元禄郷帳には多々羅田村とある。その後佐倉藩領となり幕末に至る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

半夏ともいう。七十二候の一つで,本来は夏至後 10日目から小暑の前日までをいったが,現行暦では太陽の黄経が 100°に達する日 (7月1日か2日) を半夏生とし,雑節の一つとして記載している。この頃半...

半夏生の用語解説を読む