原山(読み)はらやま

日本歴史地名大系 「原山」の解説

原山
はらやま

三条さんじよう連歌屋れんがや付近からその後背部に位置する四王寺しおうじ山の南東部斜面一帯にあたる。寛喜元年(一二二九)五月二三日の信宗所領注進状案(太宰府天満宮文書/鎌倉遺文六)に「一所原山水上地」とみえ、安楽寺(太宰府天満宮)の修理少別当信宗の所領であった。同所はその後信宗から信全―信朝と相伝された(建長二年六月三日「信全所領注進状案」同文書/鎌一〇、正和二年二月日「信朝所領等注進状」同文書/鎌倉遺文三二)。元弘三年(一三三三)五月二五日、博多の鎮西探題が滅亡し、翌二六日、後醍醐天皇皇子尊良親王は「太宰府原山」に入った。

原山
ならばらさん

[現在地名]玉川町木地

玉川町の南部、蒼社そうじや川と木地きじ川の分水嶺となる越智郡第一の高山で、標高一〇四二メートル。晴れた日には瀬戸内海島々、中国地方を遠望し、東方に石鎚いしづち山脈、南に道後平野をながめることができる。奈良原ならばら神社の旧参道に沿って桜の老木があるが、とくにほとけとうげ千疋せんびき峠には巨木が多く、国指定の名勝となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報