日本歴史地名大系 「多和田村」の解説 多和田村たわだむら 滋賀県:坂田郡近江町多和田村[現在地名]近江町多和田日光寺(につこうじ)村・能登瀬(のとせ)村の東に位置し、山を挟んで北西に布施(ふせ)村(現長浜市)、南東に醒井(さめがい)村(現米原町)がある。醒井村との間にある兜黛(かぶと)山には列石遺構がある。文明一二年(一四八〇)六月八日の足利義政御教書(慈照寺文書)に「多和田西方内丸野」とみえ、「蔭涼軒日録」同一八年一一月二六日条には「一昨日自江州帰路仍多和田庄請取之素望達之」とみえる。天文二一年(一五五二)一〇月六日浅井久政は今井定清に「多和田東方七十石」を与えている(島記録)。 多和田村たーたむら 沖縄県:那覇市旧島尻郡地区多和田村[現在地名]那覇市安謝(あじや) 多和田原(たーたばる)安謝(あじや)村多和田原一帯にあったと思われる村。絵図郷村帳・琉球国高究帳ともに記載はなく、乾隆二年帳に「た田村」とある。当初西原(にしばる)間切所属であったが、乾隆二年帳段階では「めかる村」(銘苅村)などとともに真和志(まーじ)間切へ移管され、「た田村」「めかる村」は「当時無之」と記載される。このことから移管後は安謝村に組込まれたものと思われる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by