多布施反射炉跡(読み)たふせはんしやろあと

日本歴史地名大系 「多布施反射炉跡」の解説

多布施反射炉跡
たふせはんしやろあと

[現在地名]佐賀市伊勢町・多布施三丁目

築地ついち反射炉の東、多布施川のほとりにあって公儀石火矢鋳立所ともいった。嘉永六年(一八五三)幕府の品川砲台の備砲二〇〇門の注文を受けて築地の反射炉とは別に造った。これを同年一〇月に見学した幕府勘定奉行川路聖謨は大規模な設備に驚き、また川をせき止めて流れを引き、二寸ほどの厚い板で四〇間の長さの水流を引く水路を作り、その末端は滝のようにして水車を回すようになっている様子や、古い築地の反射炉で銑鉄一万二千貫を溶解したり、水車の動力大砲に弾道の穴があけられたりするのを見学している(長崎日記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む