日本歴史地名大系 「多田良村」の解説 多田良村たたらむら 千葉県:安房郡富浦町多田良村[現在地名]富浦町多田良岡本(おかもと)村の南に位置し、村域は西に延びる大房(たいぶさ)岬を含む。地名はタダラともよぶ。中世には当地から青木(あおき)にかけての一帯に多々良(たたら)庄が成立していた。同庄は古代の平群(へぐり)郡達良(たたら)郷(和名抄)を継承すると考えられる。「吾妻鏡」暦仁元年(一二三八)二月一七日条にみえる多々良小次郎、建治元年(一二七五)五月日の六条八幡新宮造営用途注文写(国立歴史民俗博物館蔵)にみえる安房国御家人多々良七郎は、当地を本貫とする武士であろう。建武四年(一三三七)四月八日の斯波家長安堵状(本間文書)に安房国多々良庄とみえ、庄内の本間兵衛五郎入道国季(覚法)の相伝の地が安堵されている。天正一五年(一五八七)庄内青木村にある里見義頼の菩提寺光厳(こうごん)寺が延命(えんめい)寺(現三芳村)末であると認められている(四月五日「里見義康安堵状」延命寺文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by