朝日日本歴史人物事典 「里見義頼」の解説
里見義頼
生年:生年不詳
戦国時代の武将。義弘の長子(弟とも)。通称太郎,初名を義継と称す。早くから里見領国にあって安房地方(千葉県)を管轄していたが,天正6(1578)年5月20日義弘が没するや,義弘の子で母は古河公方足利晴氏の娘である梅王丸里見梅王丸との間に遺領を巡る抗争が起き,内乱に発展した。この争乱の最中,小弓公方足利義明の遺児頼淳の諱の1字をもらい義頼と改名し,その権威を背景に同8年には梅王丸およびその同調者を制圧。その直後,今度は正木憲時の反乱が勃発するが,これも翌年10月に制圧し,名実ともに里見領国の一元化支配をなしとげる。その後正木氏の実力を里見家中に取り込むため,次男の別当丸をして正木家の名跡を継がせ,また竜朱印状による領国支配を進展させるなど内政の充実に努めた。一方,小田原北条・甲斐武田・常陸佐竹・越後上杉氏などと全方位外交を繰り広げ,さらに豊臣政権ともいち早く交渉をもつなど,巧みな外交手腕を発揮した。
(滝川恒昭)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報