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里見義頼 さとみ よしより

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

里見義頼 さとみ-よしより

?-1587 織豊時代の武将。
里見義尭(よしたか)の子。兄里見義弘の養子となる。義弘は安房(あわ)を義頼に,上総(かずさ)を実子の梅王丸にあたえた。義頼はこれを不満とし,義弘の死後,梅王丸を捕らえて出家させ,義弘の遺領をすべて相続した。天正(てんしょう)15年10月26日死去。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

里見義頼

没年:天正15.10.26(1587.11.26)
生年:生年不詳
戦国時代の武将。義弘の長子(弟とも)。通称太郎,初名を義継と称す。早くから里見領国にあって安房地方(千葉県)を管轄していたが,天正6(1578)年5月20日義弘が没するや,義弘の子で母は古河公方足利晴氏の娘である梅王丸里見梅王丸との間に遺領を巡る抗争が起き,内乱に発展した。この争乱の最中,小弓公方足利義明の遺児頼淳の諱の1字をもらい義頼と改名し,その権威を背景に同8年には梅王丸およびその同調者を制圧。その直後,今度は正木憲時の反乱が勃発するが,これも翌年10月に制圧し,名実ともに里見領国の一元化支配をなしとげる。その後正木氏の実力を里見家中に取り込むため,次男の別当丸をして正木家の名跡を継がせ,また竜朱印状による領国支配を進展させるなど内政の充実に努めた。一方,小田原北条・甲斐武田・常陸佐竹・越後上杉氏などと全方位外交を繰り広げ,さらに豊臣政権ともいち早く交渉をもつなど,巧みな外交手腕を発揮した。

(滝川恒昭)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

さとみよしより【里見義頼】

?‐1587(天正15)
戦国大名。安房岡本城主。義弘の長男(弟ともいう)。家督相続後,上総大多喜(おおたき)城主正木憲時の反逆に遭う。この反乱は鎮定したが,さらに北条氏の進出に苦しんで勢力振るわず,上総南部,安房を維持するにとどまった。義頼は父祖に倣って領国統治の文書に印文〈義頼〉の方形印章,および竜印章を用いたことが知られている。【下村 信博】

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