多田鼎(読み)タダ カナエ

20世紀日本人名事典 「多田鼎」の解説

多田 鼎
タダ カナエ

明治〜昭和期の学僧 大谷派伝道院院長。



生年
明治8年10月3日(1875年)

没年
昭和12(1937)年12月7日

出生地
愛知県宝飯郡五井村(現・蒲郡市)

別名
法名=慶悟,諡号=信斯院

学歴〔年〕
真宗大学研究院〔明治33年〕卒

経歴
真宗大学に在学中、信仰の問題で煩悶し、東京に住む浄土真宗の学僧で思想家の清沢満之を訪問。のち清沢が主宰する浩々堂の同人となって精神主義運動を進め、機関誌精神界」の発行に携わった。明治34年清沢が真宗大学の学監となったのに伴い、招かれて同教授に就任。36年清沢が没すると辞職し、37年千葉教院を開いた。その後、愛知県に帰って三河同朋会を組織し、雑誌「みどりご」を刊行しながら著述や教化活動を展開。大正13年には真宗大谷派伝道院の初代院長に任ぜられた。著書に「正信偈本義」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「多田鼎」の解説

多田鼎 ただ-かなえ

1875-1937 明治-昭和時代前期の学僧。
明治8年10月3日生まれ。真宗大谷派。清沢満之(まんし)主宰の浩々洞同人となって機関誌「精神界」を刊行。明治34年母校真宗大(現大谷大)教授をつとめ,37年千葉教院をひらく。大正13年大谷派伝道院初代院長となった。昭和12年12月7日死去。63歳。愛知県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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