隼人(読み)ハヤヒト

デジタル大辞泉 「隼人」の意味・読み・例文・類語

はや‐ひと【×隼人】

《「はやびと」とも》古代、九州南部、現在の鹿児島地方に居住した人々。しばしば朝廷に反抗したが、服従後は京に上って宮門の守護、行幸の先駆や、即位・大嘗祭だいじょうさいなどに奉仕した。はやと。はいと。

はや‐と【×人】

はやひと」に同じ。
鹿児島県の男性をいう語。「薩摩さつま隼人

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精選版 日本国語大辞典 「隼人」の意味・読み・例文・類語

はや‐ひと【隼人】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 古代、大隅・薩摩(鹿児島県)に住み、大和政権に従わなかった集団。五世紀後半頃には服属したらしく、やがて中央に上番(じょうばん)して宮門の警衛などに当たり、一部は近畿地方に移住した。令制では隼人の司(つかさ)に管轄され、宮城の警衛に当たった。また、儀式の際には参列して犬の吠声のような声を発したり、風俗(ふぞく)の歌舞などを行なって奉仕し、また竹笠の造作に従事した。はやと。はいと。
    1. [初出の実例]「討薩摩隼人軍士、授勲各有差」(出典:続日本紀‐大宝二年(702)九月戊寅)
  3. はやひと(隼人)の司」の略。

はや‐と【隼人】

  1. 〘 名詞 〙 ( 「はやひと(隼人)」の変化した語 )
  2. はやひと(隼人)
  3. 九州南部、大隅・薩摩国(鹿児島県)の男子。
    1. [初出の実例]「勝ち誇った隼人の健児が」(出典:黒潮(1902‐05)〈徳富蘆花〉一)

はいと【隼人】

  1. 〘 名詞 〙 ( 「はやひと(隼人)」の変化した語 ) 古代、九州の南部地方に住んでいた集団。はやと。はいとん。〔書言字考節用集(1717)〕

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改訂新版 世界大百科事典 「隼人」の意味・わかりやすい解説

隼人 (はやと)

〈はやひと〉ともよむ。古代に南九州地方に住み,熊襲(くまそ)のほかに永らく大和政権に服属をがえんじなかった人々を隼人と称した。律令時代に〈夷人雑類〉としての扱いをうけている。それは南九州がシラス地帯で,いわゆる膂宍(そしし)の空国(むなくに)であり,多くは水田耕作に適さず,主として狩猟,漁労を営み,地域的にも孤立し,南方系の文化の影響を濃厚にうけていたことによるものであろう。生活様式を異にし,言語的にも〈訳語(おさ)〉を介さなくては通ぜぬことが,一般の班田農民と差別されることとなったと思われる。だが日本の古代国家が中国の中華思想に倣い,東北部に居住する蝦夷(えみし)と,西南部に住む隼人を,東夷,北狄,南蛮,西戎に擬定した政治的意図による面も見落としてはなるまい。

 隼人が第一次的に大和政権の服属下に入るのは5世紀代の仁徳朝ころで,日向の諸県(もろかた)地方を中心としたらしい。《古事記》では仁徳の皇子,墨江中王(すみのえのなかつきみ)の〈近習隼人〉として曾婆訶理(そばかり)の名が見える。《日本書紀》では刺領布(さしひれ)とされるが,領布も訶理(苅)すなわち剣も鎮魂の呪具にちなむもので,隼人が強力な邪霊鎮魂の呪能を持つ部族と考えられていたことを示している。神代紀には,火酢芹(ほすせり)命(海幸)が弟の山幸に敗れて伏罪したとき,みずから狗人(いぬひと)と称したといい,〈火酢芹命の苗裔,諸の隼人ら,今に至るまで天皇の宮墻の傍を離れずして,代(よよ)に吠ゆる狗して奉事(つかえまつ)る者なり〉とある。律令時代にも,隼人は隼人司の管掌下にあり,吠声して宮廷守護に当たった。《令集解》職員令では,隼人という名は吠声によると解しているが,海幸が服属したとき〈俳優(わざおぎ)の民〉とならんと誓ったとの隼人舞の起源伝承から,テンポの早いはやしをする人の意で〈はやと〉と名付けたのかもしれない。そのほか,古語に猛勇を〈はやし〉ということより起こるという説(本居宣長),《新唐書》倭国伝にみえる〈波邪(はや)〉の地名によるという説(喜田貞吉),暴風や8月の風を〈はやち〉と称することから,かかる疾風が夏季におそう地域を〈はや〉の地域といったという説(松岡静雄),などがある。

 これらの隼人は,日向隼人大隅隼人,薩摩隼人,甑(こしき)隼人などとそれぞれ地名を冠して呼ばれるが,彼らは地域的に割拠分散し互いに部族集団を結成して対立し,統一的な政治権力を作り上げていなかった。そのことが律令制下でもしばしば反乱を起こしながら鎮圧され,遂には大和政権の統治を許す最大の原因ともなった。その対立は墓制にも見られ,日向・大隅地方では〈地下式土壙墓〉,薩摩半島南東部の指宿市・揖宿(いぶすき)郡には〈立石土壙墓〉,薩摩地方全域には〈地下式板石積石室〉と呼ばれるひじょうに特徴的な隼人の墳墓が造営されていた(横穴)。それに対し,天皇直轄領といわれる県(あがた)が設置された地域,主として軍事上の要衝地ないしは穀倉地帯などには,畿内式の古墳が散在する。宮崎平野,志布志湾の肝属川流域,国分平野,川内川流域などには,それぞれ諸県君,曾君,大隅直,薩摩君などという隼人の有力首長層が蟠踞(ばんきよ)し,周辺部の共同体を傘下に収めていた。朝廷もそれぞれの首長の領域をそのまま郡とし,彼らを統治した。これらの首長層は律令時代には6年1交替で上京し,隼人の方物(地方の特産物)を貢納し,隼人舞や相撲を天皇の前で演じた。一部の隼人は近畿地方に移住させられ,隼人司に属し,竹製品を献じたり,風俗歌舞を奏することが義務づけられていた。《正倉院文書》のいわゆる山背国隼人計帳は,山城国綴喜郡大住郷の大隅隼人の計帳であり,また近江国滋賀郡古市郷の計帳には阿多隼人がみえる。
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隼人(旧町) (はやと)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「隼人」の意味・わかりやすい解説

隼人(古代の南部九州の居住民)
はやと

古代の南部九州の居住民。『古事記』『日本書紀』神代巻の、いわゆる海幸(うみさち)・山幸(やまさち)神話に隼人の祖(海幸彦=ホデリノミコトまたはホノスソリノミコト)が登場するが、それを別にすると、両書の履中(りちゅう)天皇の条以後にみえ、7世紀後半の天武(てんむ)朝以後になるとその記事が具体的になってくる。南部九州にはそれ以前クマソ(熊襲、熊曽)が居住していたことが、やはり両書にみえるが、その後身とも考えられる。天武朝以後の隼人は朝廷に朝貢し、相撲(すもう)を見せたり歌舞を奏上したりしているが、8世紀以後はその朝貢が「六年相替」といわれるように定期的になり、その引率者である隼人の首長層はしばしば位を授けられている。また、これより早く大和(やまと)朝廷に服属した隼人の一部は、畿内(きない)各地に移住させられており、屯倉(みやけ)の警衛などにあたっていたとみられる。

 7世紀後半の隼人は、その居住地によって阿多(あた)(薩摩(さつま)半島)隼人、大隅(おおすみ)隼人と区分されていたが、8世紀には阿多隼人にかわって薩摩隼人の名称がみられることからすると、隼人の居住地は概して現在の鹿児島県を主体としていたのであろう。8世紀になって薩摩・大隅両国が日向(ひゅうが)国から分立し、律令(りつりょう)支配が浸透すると、隼人は朝廷に対し抵抗し、720年(養老4)には大規模な抗戦を起こした。このとき、大隅国守陽侯史麻呂(やこのふひとまろ)が殺され、大伴旅人(おおとものたびと)を持節大将軍とする征隼人軍が派遣されている。律令制では衛門府(えもんふ)に隼人司が設置されており、元日・即位などの祭儀に参加するほか竹細工などの製作にあたっている。隼人の系統についてはインドネシア系などとする説があるが明らかでない。

[中村明蔵]

『大林太良編『隼人』(1975・社会思想社)』『中村明蔵著『隼人の研究』(1977・学生社)』


隼人(旧町名)
はやと

鹿児島県中央部、姶良郡(あいらぐん)にあった旧町名(隼人町(ちょう))。現在は霧島(きりしま)市の南部を占める。旧隼人町は1954年(昭和29)隼人、日当山(ひなたやま)の2町と清水(きよみず)村の一部が合併して隼人日当山町となり、1957年隼人町と改称。町名は国指定史跡の隼人塚による。2005年(平成17)同郡溝辺(みぞべ)、横川(よこがわ)、牧園(まきぞの)、福山(ふくやま)、霧島の5町及び国分(こくぶ)市と合併し霧島市となった。旧隼人町域の北部はシラス台地の十三塚原、南部は天降川(あもりがわ)の三角州からなり、JR日豊本線(にっぽうほんせん)と肥薩線(ひさつせん)、国道10号、223号、504号が通じる。古代南九州の中心で条里遺構の坪地名が残る。戦国時代末期に浜之市港(はまのいちこう)が開かれてから、商業、交通の要地として明治まで栄えた。農業が主産業で、タバコやダイコンのほかトマトの施設園芸が盛ん。繊維、電機などの工場も進出し、隣接の国分地区とともに国分隼人テクノポリスの指定を受けている。国民保養温泉地日当山温泉炭酸水素塩泉で、付近には大隅一宮(おおすみいちのみや)の鹿児島神宮もあり、鹿児島市の奥座敷と称される。

[白石太良]

『『隼人郷土誌』(1985・隼人町)』

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百科事典マイペディア 「隼人」の意味・わかりやすい解説

隼人[町]【はやと】

鹿児島県中部,姶良(あいら)郡の旧町。古代の隼人族の中心地といわれ伝説や史跡が多い。国分市(現・霧島市)とともに国分平野の中心で,米,トマト,モモ,ミカンなどを産するが,最近は鹿児島市への通勤者が増加。鹿児島神宮,隼人温泉がある。日豊本線が通じ肥薩(ひさつ)線が分岐。2005年11月,国分市,姶良郡溝辺町,横川町,牧園町,霧島町,福山町と合併し市制,霧島市となる。66.49km2。3万6264人(2003)。

隼人【はやと】

大和朝廷に抵抗した南九州の民。7世紀末から8世紀頃に朝廷に帰順,大隅(おおすみ)・阿多(あた)(鹿児島県)両地方の首長などに率いられて交代で上京,衛門府(えもんふ)の隼人司(はやとのつかさ)の管轄下におかれ,宮門(きゅうもん)警備や風俗歌舞の演奏,竹細工の造作などに従事。→熊襲
→関連項目大隅国元正天皇薩摩国値賀島隼人[町]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「隼人」の意味・わかりやすい解説

隼人
はやと

鹿児島県北東部,霧島市中西部の旧町域。鹿児島湾北岸にある。 1929年町制。 1954年日当山町,清水村と合体して隼人日当山町となり,1957年隼人町に復した。 2005年国分市,溝辺町,横川町,牧園町,霧島町,福山町の1市5町と合体して霧島市となった。浜之市は江戸時代,商港として栄え,鹿児島湾北部随一の物資集散地であった。湾岸の沖積地を中心に,米,サツマイモを産し,タバコ (国分たばこ) ,漬物用ダイコンを特産。繊維,電機などの工場も進出し,1984年に国分市とともに国分隼人テクノポリス地域の指定を受けた。天降川 (あもりがわ) 沿いには温泉が多く,中流部には日当山温泉,上流部には新川渓谷温泉郷がある。付近一帯は古代の部族である隼人居住地といわれ,隼人塚 (国指定史跡) がある。

隼人
はやと

古代南九州に居住していた一部族。主として大隅,薩摩地方に居住していた。5世紀中頃以降大和朝廷に服属し,勇猛敏捷であったため,徴発されて宮門の警衛,行幸の先駆などを勤めた。大宝令では隼人司がおかれ,6年交代で朝廷に勤番し,勤番後,畿内,近江,播磨などに土着を許された。一方,8世紀の初め頃隼人の反乱が起り,たびたび鎮圧軍が派遣されたが,大隅,薩摩の国司に大宰府官人が任命されるようになってから,次第に律令支配体制に組込まれていった。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「隼人」の解説

隼人
はやと

古代の南九州の居住者に用いられた呼称。畿内近国に移住させられた人々も隼人とよばれた。呼称は天武朝以降に成立・使用されたらしく,隼人は「夷人雑類」とされて野蛮人視された。朝廷は衛門府(のち兵部省)管下に隼人司をおき,朝貢隼人・畿内隼人を統轄させ,その呪力や軍事力を利用した。大隅・薩摩両国への班田制導入と朝貢停止により,9世紀には南九州の居住者が隼人とよばれることはなくなり,畿内隼人が即位・大嘗祭などの朝廷儀式に参加した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「隼人」の解説

隼人
はやと

古代,九州南部に住んだ一種族
熊襲 (くまそ) と同族説もあるが系統不明。大和政権の九州征討に反抗し,異民族視された。律令制では衛門府隼人司に属し,朝廷の儀式の際の歌舞や宮門の警衛にあたった。しばしば反乱をおこしたが,720年大伴旅人に平定され,以後完全に服属した。

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デジタル大辞泉プラス 「隼人」の解説

隼人

三重県で生産されるサツマイモ。カロテン含有量が多く、色が鮮やか。名物の干しイモ「きんこ」に加工される。

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世界大百科事典(旧版)内の隼人の言及

【隼人】より

…〈はやひと〉ともよむ。古代に南九州地方に住み,熊襲(くまそ)のほかに永らく大和政権に服属をがえんじなかった人々を隼人と称した。律令時代に〈夷人雑類〉としての扱いをうけている。…

【岩手[県]】より

…(3)北上高地と三陸沿岸地帯 岩手県の東半分を占める高地(山地)で,なだらかな準平原が続き,高い山の少ないかわりに奥行きの深い山系である。一段と高い早池峰(はやちね)山(1914m,国定公園)や五葉(ごよう)山,兜明神(かぶとみようじん)岳,姫神山などの山々は,浸食から残された残丘である。この山地では砂鉄を多く産し,燃料の木炭と結びついて砂鉄製鉄が盛んとなり,17世紀中ごろ以後,藩の奨励もあって南部鉄器の製造業が発展した。…

※「隼人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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