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多紀元悳 たき・げんとく

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朝日日本歴史人物事典の解説

多紀元悳

没年:享和1.5.10(1801.6.20)
生年:享保17(1732)
江戸中期の幕府医官。字は仲明,幼名金之助,通称安元,号は藍渓。明和3(1766)年父元孝の跡を継ぎ,医生を養成する躋寿館を主宰。安永1(1772)年の大火で類焼するが私財を投じて再建した。同5年奥医師,法眼。天明6(1786)年の大火で再び焼失するが,重ねて官財,私財により造営。同8年将軍徳川家斉の御匙(侍医)。寛政2(1790)年法印に進んだ。翌年躋寿館は官営の医学館に昇格。元悳は和漢伝統医学の教育・研究に努め,医界における多紀氏の地位を不動のものとした。<著作>『広恵済急方』『医家初訓』

(小曾戸洋)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

多紀元悳
たきげんとく
(1732―1801)

江戸時代の漢方医。多紀元孝(もとたか)(1695―1766)の五男で、多紀家6代目。名を元悳(「もとのり」とも読み、元徳とも書く)、字(あざな)は仲明、通称は安元また文恭、藍渓(らんけい)と号した。父業を継ぎ、安永(あんえい)年間(1772~1781)侍医法眼に、1788年(天明8)法印に進み、永寿院の号を賜り、11代将軍徳川家斉(いえなり)の侍医御匙(おさじ)となった。1791年(寛政3)、火災焼失(1772)した私学躋寿館(せいじゅかん)を再建して官立の医学館とし、その規模を拡大したが、その際、私財をなげうって無一物となり、自宅の修理もできず、雨の日は傘をさして食事をしたという。1791年には仁和(にんな)寺の『医心方(いしんほう)』を謄写して奉上し、また『太平聖恵方』を写して献上した。享和(きょうわ)元年5月10日没。著書に『広恵済急方(こうけいさいきゅうほう)』『医家初訓』『医学平言』『養生大意』などがある。[矢数道明]

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