日本歴史地名大系 「多胡城跡」の解説 多胡城跡たこじようあと 富山県:氷見市上田子村多胡城跡戦国期の城であるが、跡地は不詳。永正一七年(一五二〇)二月二一日新庄(しんじよう)(現富山市)において神保慶宗らの越中勢を破った長尾為景は、この直後の二四日の書状(上杉家文書)で「但多胡之様体見度候者、可被打越候、ともかくも任心中候、此方ハ多胡へこへ候て、一国取候しるし、隣国之覚も是迄申候間」と述べている。当時、能登の守護畠山義総が多胡に陣取っており、為景は神保氏を滅ぼし「一国取候」ことを義総に報告するため陣所を訪れたものと推測される(富山県史)。おそらく能登畠山勢は神保氏方の詰城であった二上(ふたがみ)城(守山城、現高岡市)を攻略する足がかりとして、多胡に陣取っていたものとみられる。天文元年(一五三二)三月一〇日には下間頼秀が「越中多胡城」での粉骨を賞し、内嶋兵衛大夫の討死を弔っている(「下間頼秀書状」高山別院照蓮寺文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 未経験者歓迎!/和食店のキッチンスタッフ/うどん、そばなど、和食全般の調理をお任せ/完全週休2日制 株式会社ローバス 大阪府 高槻市 月給30万円~38万円 正社員 ケータリングの調理スタッフ/急募 調理経験者歓迎!ケータリング・仕出し料理のお店 株式会社御蔵苑 埼玉県 さいたま市 月給30万円~ 正社員 Sponserd by