多胡村(読み)たごむら

日本歴史地名大系 「多胡村」の解説

多胡村
たごむら

[現在地名]吉井町多胡

矢田やた村・川内かわうち村の南、東・南は多比良たいら村、西は神保じんぼ村と接する。田子とも記した(寛文七年「田畑物成目録」金光文書など)。「吾妻鏡」治承四年(一一八〇)一二月二四日条に源(木曾)義仲の父義賢の遺跡とみえる多胡庄の遺称地。「源平盛衰記」に多胡次郎家包、「吾妻鏡」に多胡宗太・同宗内など、当地に台頭したと思われる武士がみえる。寛文郷帳では田方七一石六斗余・畑方二一八石七斗余、幕府領・旗本川村領などの四給。江戸後期の御改革組合村高帳では幕府領・旗本門奈領などの三給。寛延二年(一七四九)の村明細帳(井上文書)によると三反二畝余の松雑木御林があり、村内の土橋修理に枝木を利用、その下草代として永一一六文を上納秣場大沢おおさわ(大沢村)・あかり山(多比良村)にあり、山札一枚につき永五〇文を吉井宿に納入、また同宿の助人馬を勤めている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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