多賀谷氏館跡(読み)たがやしやかたあと

日本歴史地名大系 「多賀谷氏館跡」の解説

多賀谷氏館跡
たがやしやかたあと

[現在地名]金津町山十楽

慶長五年(一六〇〇)越前に封じられた結城秀康の重臣多賀谷左近三経の館跡。山十楽やまじゆうらく西南洪積台地一端を占める字しまにある。東西約四〇〇メートル、南北約六五〇メートルの館地の周囲は、開析谷を利用した堀が現在も約一〇〇メートルの深田として残り、付近に屋敷割やしきわり御馬屋おうまやなどの字名もある。

慶長六年九月九日付結城秀康知行宛行状(多賀谷文書)によると、坂井郡四六ヵ村三万石が多賀谷左近に宛行われ、同九年一一月一二日宛行状によって八ヵ村のうちで二千石が加増された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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