日本歴史地名大系 「夜間瀬村」の解説 夜間瀬村よませむら 長野県:下高井郡山ノ内町夜間瀬村[現在地名]山ノ内町大字夜間瀬東部より南部は山岳地帯で、竜王(りゆうおう)山(一九〇〇・一メートル)・五輪(ごりん)山(一六二〇・二メートル)より聖岩(ひじりいわ)・城(じよう)山と続き、湯田中(ゆだなか)・上条(かみじよう)村に接し、西は夜間瀬川をもって竹原(たけはら)・深沢(ふかさわ)村、また高社(こうしや)山(一三五一・五メートル)山頂で赤岩(あかいわ)・上木島(かみきじま)村と境し、北は上木島村に対している。村内は本郷(ほんごう)・横倉(よこくら)・宇木(うき)・須賀川(すがかわ)の地区に分れていて、村の中程に飯盛(いいもり)山(一〇六四・一メートル)・犬首山が蟠踞している。この地は、「吾妻鏡」文治二年(一一八六)三月の条にみえる笠原(かさはら)牧北条(きたじよう)にあたる所で、もと夜交(よませ)郷と称した。笠原氏の支配に属していたが、南北朝時代には、中野氏の一族が進出していることは、貞和三年(一三四七)三月、中野(夜交)氏が足利直義党として、光厳上皇の院宣によって、南朝党攻めに出陣の催促を受けていることで知られる(「足利直義軍勢催促状」世間瀬文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by