上木島村(読み)かみきじまむら

日本歴史地名大系 「上木島村」の解説

上木島村
かみきじまむら

[現在地名]木島平村大字上木島

木島平村南部に位し、たる川以南高社こうしや山麓一帯の地域を占めている。北部山岳地帯は、毛見けみ郷・志久見しくみ郷の山々と並んで深く新潟県魚沼うおぬま郡と夜間瀬よませ地区(現山ノ内町)に接し、西は虚空蔵こくうぞう山で山岸やまぎし其綿そのわた(現飯山市)田上たがみ(現中野市)に、南は高社山頂で赤岩あかいわ(現中野市)と境している。

岳北地方への主要な古道は田上村よりまきいり峠を経て本村に通じ、また須賀川すがかわ地区より高社山麓を通り本村に至る道もある。

本村は中世より木島郷に属し、鎌倉時代には地頭木島兵衛尉の子息らが、古来巣鷹山で知られた志久見郷の地頭中野馬允能成の領内志久見山に侵入して鷹の子を盗んだ事件で幕府に訴えられたことは、寛喜元年(一二二九)一二月一三日守護北条重時御教書(市河文書)に「中野馬允(能成)申、為木島兵衛尉被盗取鷹子間事、如守護所代書状(中略)早件鷹子四同盗人三人召出守護所、可令言上案内給候」とみえる。


上木島村
かみきじまむら

[現在地名]巻町上木島

川左岸にあり、下木島の南に接する。元和四年(一六一八)長岡藩知行目録に村名がみえ、高五九石八斗余とある。寛永一一年(一六三四)三根山領となった(「長岡懐旧雑記」長岡の歴史)元禄郷帳は六八石九斗余。村高以後変わらない。安政二年(一八五五)の三根山領年貢納高(「三根山藩」所収)によれば舟戸組に属し、取米四一石九斗余、永引・定引合せて引高一一石六斗余があり、納高は三〇石二斗余、取米率は二割強である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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