日本歴史地名大系 「下高井郡」の解説
下高井郡
しもたかいぐん
県の東北部に位置する。旧下高井郡の中央部には、
三ヵ村ともに、東部には広大な深い山岳地を有し、これより流れ下る急流によって扇状地がつくられ、崖錐地と相まって傾斜性の集落をなしている。
南より北にかけては、
山ノ内町は
高井郡は、持統天皇(在位六八六―六九七)の藤原宮跡から発掘された木簡墨書銘に「高井郡大黄」「十五斤」とあり、これは典薬寮に納めた薬草に付けた荷札と思われる。また「三代実録」の貞観九年(八六七)三月一一日条に、信濃から大和に越した「高井郡人従八位上物部連善常、改本居云々」とある。「延喜式」民部に信濃一〇郡のうち「高井」、「延喜式」神名帳に「高井郡云々」とあるのを初見とする。
〔原始〕
先土器時代の遺物は山麓地の各所に折々発見される。縄文時代に入ると、山ノ内町では、
〔古代〕
「和名抄」の高井郡郷名には、穂科・小内・稲向・日野(以上高山寺本)、神戸(流布本)がみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報