大中臣氏(読み)おおなかとみし

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大中臣氏」の意味・わかりやすい解説

大中臣氏
おおなかとみし

神祇(じんぎ)をつかさどる古代貴族中臣氏の後裔。『続日本紀(しょくにほんぎ)』神護景雲(じんごけいうん)3年(769)6月19日条に、祝詞(のりと)には大中臣と言っており、また中臣朝臣(あそん)清麻呂(きよまろ)は2度神祇官に任じられてよく仕えた、よって大中臣朝臣と賜姓せよとの詔(みことのり)があるのに始まる。清麻呂の子孫がこれを継承する一方、『中臣氏系図』所引の「延喜本系(えんぎほんけい)」中臣許米(こめ)条と大中臣伊度人(いどと)条によると、515人が大中臣を賜っている。この氏から神祇伯(はく)・神祇大副(たいふ)や歌人群を輩出している。

[岩本次郎]

『高島正人著「奈良時代の中臣朝臣氏」(『奈良時代諸氏族の研究』1983・吉川弘文館)』

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改訂新版 世界大百科事典 「大中臣氏」の意味・わかりやすい解説

大中臣氏 (おおなかとみうじ)

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世界大百科事典(旧版)内の大中臣氏の言及

【大井荘】より

…これら大井荘の住人の中から荘別当・専当の荘官が出現し,12世紀の初めにその後の荘官組織の中心となる下司職が出現する。その下司職を相伝したのが開発領主と称する大中臣氏であった。大中臣氏は他の荘官職を一族で固め,60余町の下司名を持ち,鎌倉初期には幕府の御家人となって勢力を誇った。…

【大宮司】より

…その俸禄には,季禄のほか,初任の年稲1000束,毎年絹50疋,米100斛が給せられた。826年(天長3)大中臣久世主の補任以後,代々大中臣氏がこれに就き,その中でも河辺家の世襲となった。任期は地方官と同じく6年であった。…

【葛原牧】より

…織幡村の境界は,東は海上郡木内堺,南は千田郡二重堀,西は福田・相根堺,北は太田・吉原・大畠堺であった。先祖豊郷以来,代々香取神宮大禰宜家大中臣氏の所領で,神役を務めていたが,保元の乱直前の1156年(保元1)6月,常陸の鹿島社大禰宜則近が左大臣藤原頼長家の命と称し,両村の押領を企てた。乱後,大中臣惟房は本所である関白藤原忠通に訴え,両村の領有を回復する。…

【中臣氏】より

…大化改新後に藤原氏を分出,八色(やくさ)の姓の制度で朝臣を賜姓。奈良後期から嫡流は大中臣(おおなかとみ)氏。中世以後は岩出(いわで),藤波(ふじなみ)などと称する。…

※「大中臣氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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