日本大百科全書(ニッポニカ) 「大中臣氏」の意味・わかりやすい解説
大中臣氏
おおなかとみし
神祇(じんぎ)をつかさどる古代貴族中臣氏の後裔。『続日本紀(しょくにほんぎ)』神護景雲(じんごけいうん)3年(769)6月19日条に、祝詞(のりと)には大中臣と言っており、また中臣朝臣(あそん)清麻呂(きよまろ)は2度神祇官に任じられてよく仕えた、よって大中臣朝臣と賜姓せよとの詔(みことのり)があるのに始まる。清麻呂の子孫がこれを継承する一方、『中臣氏系図』所引の「延喜本系(えんぎほんけい)」中臣許米(こめ)条と大中臣伊度人(いどと)条によると、515人が大中臣を賜っている。この氏から神祇伯(はく)・神祇大副(たいふ)や歌人群を輩出している。
[岩本次郎]
『高島正人著「奈良時代の中臣朝臣氏」(『奈良時代諸氏族の研究』1983・吉川弘文館)』