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中臣氏 なかとみうじ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

中臣氏
なかとみうじ

古代国家の有力氏族。神別。アメノコヤネノミコトの子孫という。忌部 (いんべ) 氏とともに,天皇家の祭祀を司った。御食子 (みけこ) の子鎌子 (鎌足) が,その死にあたって天智天皇から藤原の姓を賜わったが,右大臣金,神祇伯大島らは,そのまま中臣の姓を称していた。

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百科事典マイペディアの解説

中臣氏【なかとみうじ】

古代の氏族。天児屋(あめのこやね)命の子孫と称する。忌部(いんべ)氏とともに大和朝廷に祭祀をもって仕えた。669年鎌足(かまたり)が病没したとき藤原という氏を賜ったが,698年不比等(ふひと)の子孫以外は中臣に復し,代々神事をつかさどった。
→関連項目天児屋命中臣祓山科

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世界大百科事典 第2版の解説

なかとみうじ【中臣氏】

日本古代の豪族。大和朝廷では祭祀を担当し姓(かばね)は連(むらじ)。大化改新後に藤原氏を分出,八色(やくさ)の姓の制度で朝臣を賜姓。奈良後期から嫡流は大中臣(おおなかとみ)氏。中世以後は岩出(いわで),藤波(ふじなみ)などと称する。中臣とは,《中臣氏系図》の〈延喜本系〉に奈良後期の本系帳を引用し〈高天原に初めて,皇神(すめかみ)の御中(みなか),皇御孫(すめみま)の御中執り持ちて,いかし桙(ほこ)傾けず,本末(もとすえ)なからふる人,これを中臣と称へり〉とか,《台記別記》の〈中臣寿詞(なかとみのよごと)〉に〈本末傾けず茂槍(いかしほこ)の中執り持ちて仕へ奉る中臣〉とか,《大織冠伝》に〈世々天地の祭を掌り,人神の間を相和す。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

中臣氏
なかとみうじ

宮廷の祭祀(さいし)を担当した古代の氏族。天児屋根命(あめのこやねのみこと)の裔(えい)と称する。連(むらじ)姓、のちに朝臣(あそみ)姓。906年(延喜6)の『新撰氏族本系帳(しんせんしぞくほんけいちょう)』によれば、欽明(きんめい)朝の常磐大連(ときわのおおむらじ)のときに初めて中臣連の姓(かばね)を賜ったとあり、大和(やまと)王権の宮廷祭祀機構の整備に伴い、6世紀代に新たに中央の祭官として誕生した氏と推測される。中臣の名義は「神と人との中を執り持つ」意であろう。『尊卑分脈(そんぴぶんみゃく)』や『大中臣氏(おおなかとみし)系図』の常磐の条に「本(もと)は卜部(うらべ)なり」と注記するので、卜占(ぼくせん)を業とした卜部(占部)氏、それも中臣氏と関係の深い常陸(ひたち)鹿嶋社(かしましゃ)(鹿島神宮)を奉斎した卜部氏とする説が有力である。大和王権の神事・祭祀は本来物部(もののべ)氏が管掌したが、物部氏の執政氏族への成長(大連(おおむらじ)就任)により、やがてその配下の卜部氏が神事・祭祀の職務を分掌し、中臣氏が成立したとみられる。『日本書紀』にみえる欽明朝から用明(ようめい)朝にかけての仏教受容をめぐる対立に、中臣氏が排仏派として物部氏と行動をともにするのも、こうした両氏の関係に基づくものであろう。推古(すいこ)・舒明(じょめい)朝のころから中臣氏は大夫(まえつきみ)として政治の中枢にも参加し、鎌足(かまたり)の出現により政界での地位はさらに飛躍的に上昇した。669年(天智天皇8)鎌足は藤原(ふじわら)の氏を賜ったが、698年(文武天皇2)藤原朝臣の姓は、子の不比等(ふひと)の子孫のみが継承することとなり、他は神事に供する家として中臣朝臣に復した。その後、奈良朝末期から平安朝初期にかけて氏人の多くは大中臣朝臣の姓を賜っている。[加藤謙吉]

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世界大百科事典内の中臣氏の言及

【天児屋命】より

…記紀神話に登場する。中臣(なかとみ)氏の祖神。天(あま)の岩屋戸の神話では,うるわしき称辞を読み上げて天照大神(あまてらすおおかみ)を引き出すことに成功し,天孫降臨神話では天孫に随行した。…

【卜部氏】より

…大化前代の6世紀ごろより宮廷の祭祀に参与して,中臣(なかとみ)氏に率いられ,鹿卜や亀卜の事をつかさどってきた氏族。律令制下の三国の卜部とは,伊豆,壱岐,対馬の卜部をいうが,そのほかに重要な本拠地は常陸にあった。…

【藤原氏】より

…日本の代表的な貴族。大化改新後の天智朝に中臣氏から出て,奈良時代には朝廷で最も有力な氏となり,平安時代に入るとそのなかの北家(ほくけ)が摂政や関白を独占し歴代天皇の外戚となって,平安時代の中期は藤原時代ともよばれるほどに繁栄した。鎌倉時代からはそれが近衛(このえ)家二条家一条家九条家鷹司(たかつかさ)家の五摂家に分かれたが,以後も近代初頭に至るまで,数多くの支流を含む一族全体が朝廷では圧倒的な地位を維持し続けた。…

【山科】より

…縄文時代から古墳時代にかけての中臣(なかとみ)遺跡があり,早くから人間が住んでいたことがわかる。山科古窯跡群は7世紀初頭の須恵器窯で,藤原(中臣)鎌足邸の〈山科の陶原(すえはら)〉の地と推定され,中臣氏が領有していたと思われる。天智天皇が〈山科野〉で猟をしたり,陵墓が造営されたことは,中臣氏との関係をうかがわせる。…

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