大倉稲荷跡(読み)おおくらいなりあと

日本歴史地名大系 「大倉稲荷跡」の解説

大倉稲荷跡
おおくらいなりあと

遺跡地・創建年・廃年未詳。大臣だいじん山東麓にあった大臣山稲荷であるという説、大倉の黒川材木店近辺にあった稲荷社であるという説、浄明じようみよう寺境内の稲荷社という説など諸説がある。

吾妻鏡」弘長元年(一二六一)五月一日条に「夜半大倉稲荷辺聊物」とあり、平安京宮城図(陽明文庫蔵)銘記に「元応元年八月三日、於鎌倉大倉稲荷下足利上総前司屋形模之了」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む