大口東村(読み)おおくちひがしむら

日本歴史地名大系 「大口東村」の解説

大口東村
おおくちひがしむら

[現在地名]坂井町東

西にし村の東にあり、その枝村こい村と隣接する。当村と西村の間に「館」と称する地があり、地形などから豪族の屋敷跡と推測され、この館を中心として東西の呼称が生れたとも思われるが、詳細は不明。正保郷帳や地方文書などには上の大口を省き、東村とのみ記すものも多い。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では大口郷に含まれ、中世には河口かわぐち庄の内であったと思われる。慶長六年結城秀康が多賀谷三経に与えた知行宛行状(多賀谷文書)中に「東村」と記載されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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