大磯(読み)オオイソ

デジタル大辞泉 「大磯」の意味・読み・例文・類語

おおいそ〔おほいそ〕【大磯】

神奈川県中南部の地名。相模湾に臨む。もと東海道宿場町。明治18年(1885)日本最初の海水浴場が開かれ、別荘地として発展。西行ゆかりの鴫立沢しぎたつさわ跡に鴫立庵がある。

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精選版 日本国語大辞典 「大磯」の意味・読み・例文・類語

おおいそおほいそ【大磯】

  1. 神奈川県中南部、相模湾に面する地名。古くは大磯、小磯に分かれていた。東海道平塚・小田原間の宿駅。明治時代、日本最初の海水浴場が開かれてから別荘地として知られた。東海道本線が通じる住宅地

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大磯」の意味・わかりやすい解説

大磯(町)
おおいそ

神奈川県中南部、中郡(なかぐん)にある町。1889年(明治22)町制施行。1954年(昭和29)国府(こくふ)町と合併。JR東海道本線、国道1号、西湘(せいしょう)バイパス、国道134号、小田原厚木(あつぎ)道路(国道271号)が通じる。相模(さがみ)湾に臨み、大磯丘陵南部の海岸段丘上に発達、海岸は「こゆるぎの磯」とよばれる景勝地。気候は温暖で、湘南でも休養地として最適。古代、中世からの宿駅の地で、近世には東海道の宿場と湊(みなと)を兼ね、人馬の往来と物資の集散地として栄えた。1885年日本最初とされる海水浴場が開かれてから京浜の別荘地となり、現在は住宅都市。西部の国府地区には、平安中期に相模国第三次の国府(淘綾の国府(ゆるぎのこくふ))が置かれ、現在毎年5月5日、神揃(かみそろい)山、六所(ろくしょ)神社、大矢場(おおやば)(馬場公園)(ともに六所神社の境内)へ相模国の一~五宮を招いて国府祭(こうのまち)が行われる。県指定の無形民俗文化財。大磯市街地西辺の鴫立沢(しぎたつさわ)のほとりの鴫立庵は、西行(さいぎょう)を記念したもので、東海道筋きっての歌塾として知られ、いまも歌道研修場となっている。海岸の大磯ロングビーチは近代的レクリエーション施設。その東側に県立大磯城山公園があり、園内には郷土資料館が設置されている。また、大磯駅近くには島崎藤村(とうそん)の墓もある。

 市内には民俗芸能も多く、左義長(さぎちょう)(国指定の重要無形民俗文化財)、船祭(高来(こうらい)神社)、西小磯の歩射(ぶしゃ)(白岩神社)、祇園(ぎおん)祭のバカ踊(祭りばやし)などが有名。東端の高麗山(こまやま)は山容が美しくて、古くから東海道旅行者の詩文の題、画材などにされ、海岸の平塚市の唐ケ原(とうがはら)につづく一帯は古代に朝鮮半島からきた渡来人の上陸地で、ここから関東各地へ分散した所とされる。面積17.18平方キロメートル(境界一部未定)、人口3万1634(2020)。

[浅香幸雄]

『『大磯町文化史』(1956・大磯町)』『池田彦三郎著『大磯歴史物語』(1981・グロリヤ出版)』『『大磯町史』全11巻(1996~ ・大磯町)』


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改訂新版 世界大百科事典 「大磯」の意味・わかりやすい解説

大磯[町] (おおいそ)

神奈川県中部,中郡の町。1954年国府町と合体。人口3万3032(2010)。背後の大磯丘陵が相模湾に臨むところが段丘となり,そこに狭小な市街地がある。古くから宿駅として知られ,中世の文学作品にはよくその名が見え,源頼家や曾我十郎の遊興が伝えられる。江戸時代は東海道の宿駅として栄えた。1885年松本順により照ヶ崎海岸に日本最初の海水浴場が開かれて以来,温暖な景勝地として別荘を営むものが多く,伊藤博文の滄浪閣(そうろうかく),山県有朋の小淘(こゆるぎ)庵などが著名で,第2次世界大戦後吉田茂も居住した。西行の歌で知られる鴫立沢(しぎたつさわ),島崎藤村の墓のある地福寺,高田保ゆかりの高田公園などがある。町の西郊の国府は相模国府のあったところで,相模の総社といわれる六所神社があり,今に伝わる国府祭(こうのまち)は毎年5月5日に行われ,神揃山の〈座問答〉の神事は県の無形民俗文化財に指定され,1月14日夜の北浜海岸の左義長,3月の白岩神社の歩射(ぶしゃ),7月の高来神社の御船祭などとともに人々を集めている。JR東海道本線が通じる。
執筆者:

相模国の東海道の宿場町。《和名抄》にみえる〈余綾郡伊蘇郷〉に比定される。鎌倉時代は,鎌倉近郊の宿駅として発展した。1601年(慶長6)東海道の駅制施行にともない一宿となり,平塚~小田原間の人馬の継立てにあたった。1803年(享和3)には,人数2702,家数605,本陣3,旅籠85,諸商売97,百姓222,漁師193,医・針25,問屋場2,定助郷31ヵ村,加助郷17ヵ村であった。幕末には宿財政の悪化が宿内小前(こまえ)を刺激し,1836年(天保7)に打毀がおこり二宮尊徳の仕法による安定がはかられた。明治になって鉄道敷設により一時衰えたが,保養地となり,1926年東海道本線の電化にともない,京浜と近距離となり,一般住宅地帯ともなった。
執筆者:

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日本歴史地名大系 「大磯」の解説

大磯
おおいそ

久慈漁港の東沖合二キロの地点にある磯。「水府志料」の久慈村の項に「大磯 長六間、横五間」とみえ、次の伝説がある。神亀元年(七二四)春の頃、毎夜大磯辺りから一条の光が空高く立上り、海岸の山に照り輝いた。光は秋になっても続き、村人は恐れおののいた。九月一八日のこと、一人の童子が山に登り、「我はこの海上をつかさどる海神であるぞ。

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百科事典マイペディア 「大磯」の意味・わかりやすい解説

大磯[町]【おおいそ】

神奈川県中部,相模湾に面する中(なか)郡の町。中心市街は近世の東海道の宿場町,1885年松本良順が日本最初の海水浴場を開いて以来,湘南の別荘地,保養地として発展。東海道本線が通じる。野菜栽培,酪農,ミカンの栽培が盛ん。沿岸漁業も行われる。西部の国府地区はかつての相模国府所在地。西行法師の歌で知られる鴫立沢(しぎたつさわ)がある。17.18km2。3万3032人(2010)。

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事典・日本の観光資源 「大磯」の解説

大磯

(神奈川県中郡大磯町)
東海道五十三次」指定の観光名所。

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