大可賀新田(読み)おおかがしんでん

日本歴史地名大系 「大可賀新田」の解説

大可賀新田
おおかがしんでん

[現在地名]松山市大可賀一―三丁目

山西やまにし村の庄屋一色義十郎によって開発された新田。村の西部の海岸線に面した地区は、もとは広い干潟となり、荒蕪地であった。松山藩士奥平貞幹は和気わけ郡代官在任中この地に着目し、新田開拓の構想を抱いていた。貞幹の隠退ののち嘉永四年(一八五一)に義十郎は綿密な計画書を提出して、藩庁に開発を請願した。計画は別府べふ村を流れる新川を海辺の高州まで延ばし、その水勢を利用して土砂を堆積させようとするもので、長年月を要するが、工費はきわめて軽微という利点があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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