大和資雄(読み)ヤマト ヤスオ

20世紀日本人名事典 「大和資雄」の解説

大和 資雄
ヤマト ヤスオ

昭和期の英文学日本大学名誉教授;武蔵野女子大学名誉教授。



生年
明治31(1898)年3月25日

没年
平成2(1990)年1月12日

出生地
山形県

別名
号=夜想庵主人

学歴〔年〕
東京帝大英文科〔大正14年〕卒

学位〔年〕
文学博士〔昭和32年〕

主な受賞名〔年〕
勲三等瑞宝章〔昭和43年〕

経歴
大正14年高野山大教授を経て、昭和2年に日大教授、43年名誉教授。この間津田塾大、東京文理大、早大などで講師を務める。その後、武蔵野女子大学教授。日本英文学会設立、理事。E.ブロンテの「嵐が丘」をわが国に初めて紹介したことでも知られる。著書に「教育的文学理論」「英文学史」「英文学の鑑賞」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学位 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大和資雄」の解説

大和資雄 やまと-やすお

1898-1990 昭和時代の英文学者。
明治31年3月25日生まれ。高野山大教授をへて,昭和2年日大教授。のち武蔵野女子大教授。ブロンテの「嵐が丘」を日本ではじめて翻訳,紹介した。平成2年1月12日死去。91歳。山形県出身。東京帝大卒。著作に「教育的文学理論」「文学の交流」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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