日本歴史地名大系 「大国玉村」の解説 大国玉村おおくにたまむら 茨城県:真壁郡大和村大国玉村[現在地名]大和村大国玉桜川右岸にあり、北は高森(たかもり)村、西は金敷(かなしき)村。寛喜元年(一二二九)七月一九日の将軍藤原頼経袖判下文(真壁文書)に大国玉郷とあり、真壁氏の支配下に置かれていた。また弘安大田文には「大国玉社三十丁九段大」とある。南北朝期には関氏の一族神代氏が一時地頭となったといわれる(新編常陸国誌)。江戸時代は天領・旗本領で、元禄郷帳の村高は一千八八五石余、幕末は天領一〇六石余、旗本稲葉氏領一千一三九石余、多賀氏領五四九石余、遠山氏領三〇〇石余、大国玉神社領二〇石、八竜(はちりゆう)神社領三石などであった(各村旧高簿)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by