日本歴史地名大系 「大土肥村」の解説 大土肥村おおどいむら 静岡県:田方郡函南町大土肥村[現在地名]函南町大土肥間宮(まみや)村の東、来光(らいこう)川流域にある。文禄三年(一五九四)に検地が行われ、九月三日付の検地帳(渡辺家文書)に「君沢郡大土肥村」と記載される。元禄郷帳によると高一五三石余。寛永二年(一六二五)旗本井出領となり、幕末まで変化なし(韮山町史)。用水は八(や)ッ溝(みぞ)用水を利用。延享五年(一七四八)間宮・塚本(つかもと)両村の間で用水堀幅をめぐって争論となり、このとき西から溝に番号を付け、当村は八番溝を利用することになった(竹沢家文書)。東海道三島宿の助郷は元禄七年(一六九四)以降間宮村に同じ。三島と走湯山(伊豆山神社)・熱海村をつなぐ根府川(ねぶかわ)往還が通り(熱海市史)、大土肥橋を通過していた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by