大垈堰
おおぬたせぎ
荒川の支流亀沢川の水を敷島町亀沢から引き、双葉町東部の茅ヶ岳山麓を灌漑する用水路。延長約八キロ。この山麓の傾斜地は水利の便が悪く地蔵原といわれる原野であった。近世初期(慶長一七年頃)代官田中孫兵衛が亀沢川の水を引き、牛句村・大久保村(現敷島町)を経て大垈村に至る用水路を開削するとともに、大規模な村落移転を行った。約二キロ東方の高地伊豆宮辺りにあった大垈と団子古屋敷の集落を現在地に移転し、大垈三二屋敷、団子古屋敷一六屋敷を支給し、諸役免許の特典を与えて新田を開発した(甲斐国志)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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