大堰村(読み)おおせぎむら

日本歴史地名大系 「大堰村」の解説

大堰村
おおせぎむら

[現在地名]御殿場市大堰

東流する馬伏まぶせ川を挟み深沢ふかさわ村の北、富士山の東麓、古富士山の泥流によって形成された扇状地上に位置する。北は東流する竜良たつら川を挟んで中丸なかまる村。寛永改高附帳に村名がみえ、田高一一四石余・畑高九一石余。寛永一六年(一六三九)の年貢割付状(大堰区有文書)には「御厨領大関村」とあり、高二三六石余。寛文七年(一六六七)には一五名が屋敷内または荒畑でたばこを栽培している(御殿場市史)。富士山の宝永噴火による砂降りは深さ三尺一寸。この噴火以後、須走すばしり(現小山町)伝馬役を勤め、宝暦一〇年(一七六〇)からははら宿(現沼津市)の当分助郷(勤高一一二石余)に出役。矢倉沢やぐらさわ関所(現神奈川県南足柄市)の柵木役・人足役を負担した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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