大塚かね(読み)オオツカ カネ

20世紀日本人名事典 「大塚かね」の解説

大塚 かね
オオツカ カネ

明治〜昭和期の社会事業家 ハンセン病院慰廃園監督補。



生年
安政2年(1855年)

没年
昭和21(1946)年4月11日

旧姓(旧名)
高橋

経歴
陸奥福島藩士の子として生まれる。明治18年医師の大塚正心と結婚東京目黒のハンセン病院慰廃園の監督補となり、夫とともに伝道医療に尽力した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 旧名

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大塚かね」の解説

大塚かね おおつか-かね

1855-1946 明治-昭和時代前期の社会事業家。
安政2年生まれ。父は陸奥(むつ)福島藩士。明治18年医師大塚正心と結婚。女性宣教師ヤングマンが設立した東京目黒のハンセン病院慰廃園の監督補となり,夫とともに伝道と医療につくした。好善社理事。昭和21年4月11日死去。92歳。旧姓は高橋。愛称は目黒のとしより。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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