精選版 日本国語大辞典 「目黒」の意味・読み・例文・類語
め‐ぐろ【目黒】
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現在の目黒区を流れる目黒川の両岸付近に比定される中世からの地名。建久元年(一一九〇)一一月の源頼朝上洛の際の後陣の随兵のなかに目黒弥五郎がおり(「吾妻鏡」同月七日条)、承久の乱の際には承久三年(一二二一)六月一三日の山城宇治橋合戦で目黒小太郎が負傷しているが(同書同月一八日条)、鎌倉御家人目黒氏は目黒を本拠(名字の地)とする武士と考えられる。なお現在の中目黒地区の台地には目黒氏館跡の伝承がある。北条氏所領役帳によれば、江戸衆で江戸廻に属する太田源七郎の知行地として「目黒本村」が鈴木分とともに一七貫五〇〇文と記され、同じ江戸衆の有力家臣であった島津孫四郎の二一貫文の知行地
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
東京都南部の地名で,特別区としての名称でもある。区部の人口は26万8330(2010)。古くは〈免畔〉とも記した。武蔵野台地の南東部を占め,目黒川をはじめとする河川が台地を刻み,坂が多い。地名の起りは諸説あってはっきりしないが,古くから目黒不動(滝泉寺)の所在地として知られ,とくに寛永年間(1624-44)徳川家光によって普請がなされてからは,江戸市民の行楽地としてにぎわった。江戸市中へキュウリやたけのこなどの野菜を供給し,将軍家の鷹場も置かれた。明治に入ると陸軍の練兵場などが置かれ,1907年には目黒競馬場が開設され,32年に第1回日本ダービーが行われたが,33年府中に移転した。明治中期から日本麦酒醸造会社など近代工場が立地し始めた。大正末期から昭和初期にかけて現在の東急目蒲線・東横線・田園都市線,京王井の頭線が通じるとともに,自由が丘,洗足をはじめとする高級住宅地が形成された。また現在は東京工業大学,東京大学教養学部などの教育機関が集中するほか,日本近代文学館や日本民芸館などがあり,白金の国立科学博物館付属自然教育園,東京都庭園美術館にも近く都内でも有数の文教地区である。行政上,目黒と称する町名には,目黒,上目黒,中目黒,下目黒,目黒本町がある。なお山手線目黒駅は品川区上大崎にある。
執筆者:正井 泰夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報
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