目黒(読み)メグロ

デジタル大辞泉 「目黒」の意味・読み・例文・類語

め‐ぐろ【目黒/眼黒】

目の中央の黒い部分。黒目。
スズメ目メジロ科の鳥。全長14センチくらい。背面は灰褐色がかった黄緑色で、下面が黄色く、目の周辺に黒い三角形の斑がある。小笠原諸島にのみ分布し、花や実の蜜を好む。特別天然記念物
マグロの小さいもの。めぐろうお。
「―のせんば煮を盛る時、骨、かしらりて」〈浮・五人女・一〉

めぐろ【目黒】[地名]

東京都の区名。北部を目黒川が流れる。住宅地目黒不動祐天寺がある。人口26.9万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「目黒」の意味・読み・例文・類語

め‐ぐろ【目黒】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙
    1. 目の中央の黒い部分。黒目。
      1. [初出の実例]「女が髪乱打振(ふりがみぶっ)て眼睛(メグロ)まわしてほっこりきゑッたって云やんすから」(出典:塩原多助一代記(1885)〈三遊亭円朝〉一)
    2. (まぐろ)の小さいもの。めぐろうお。〔日葡辞書(1603‐04)〕
      1. [初出の実例]「安房〈略〉目黒かつほ」(出典:俳諧・類船集(1676)安)
    3. ミツスイ科の小鳥。メジロ科のメジロに似るが、やや大きく、全長約一三・五センチメートル。背面はオリーブ色で、顔から腹面は黄色を帯び、眼の周囲をおおう黒斑がある。小笠原諸島特産。森林性で昆虫食。
  2. [ 2 ]
    1. [ 一 ] 東京都二三区の一つ。昭和七年(一九三二)東京市に編入された荏原郡目黒・碑衾(ひぶすま)の二町が合併して成立。武蔵野台地の一部をなす目黒台・荏原台にある。関東大震災後、住宅地として発展。東京大学教養学部・東京工業大学などがある。
    2. [ 二 ] 東京都目黒区の地名。旧荏原郡目黒町。昭和七年(一九三二)東京市に編入。上目黒・中目黒・目黒・下目黒などに分かれ、江戸時代から大正末期にかけては筍(たけのこ)の産地。目黒不動・蛸薬師(成就院)・祐天寺・円融寺などがある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「目黒」の意味・わかりやすい解説

目黒(区)
めぐろ

東京都区部の南西部、城南地区の一部をなす区。1932年(昭和7)目黒、碑衾(ひぶすま)の2町が合併して目黒区となった。地名は牧(まき)の名に関係するとも、馬の種類(馬黒(めぐろ))ともいわれるがさだかではない。山手台地(やまのてだいち)にあり、碑文谷公園(ひもんやこうえん)内の弁天池から流れる立会(たちあい)川を境にして目黒台と荏原台(えばらだい)に分かれる。

 山手線が東端をかすめるが、近接する恵比寿(えびす)駅は渋谷(しぶや)区、目黒駅は品川区にある。東急電鉄東横(とうよこ)線が縦断し、南端に東急電鉄目黒線(旧、目蒲(めかま)線)・大井町線、北端に東急電鉄田園都市線(旧、新玉川線)、京王電鉄井の頭線、首都高速道路3号渋谷線、国道246号が通じる。

 江戸時代は近郊の農村地域として野菜、タケノコを産し、また将軍家の御鷹場(おたかば)が置かれた。滝泉(りゅうせん)寺は江戸五色(ごしき)不動の一つ目黒不動の名で知られ、多くの信仰を集めた。東急電鉄の前身である目黒蒲田電鉄が1920年代に開通、沿線はしだいに住宅地化し、1927年自由ヶ丘学園創立に伴い高級住宅地化し、とくに自由が丘駅付近は繁華街として発達を遂げた。駒場(こまば)の鷹狩場は明治以後、練兵場となり、1878年(明治11)東京大学農学部の前身、駒場農学校に転身、第一高等学校を経て東京大学教養学部となっている。近くに日本民芸館、日本近代文学館などもある。1929年八雲には府立高等学校(1949年都立大学となり、1991年八王子市に移転)が開かれた。駒沢練兵場跡は1932年ごろ住宅団地にかわり、1907年(明治40)開設された目黒競馬場は1933年府中へ移転して跡地は国立教育研究所(現、国立教育政策研究所。2008年千代田区へ移転)や住宅地へと変容した。このように農村地域から練兵場、さらに学校誘致、それに伴う住宅地へと変遷が著しい。

 目黒川の谷は機械工業を主とする城南工業地区の一部を形成している。目黒駅西側の権之助(ごんのすけ)坂一帯は近代的商店街、その近くの大鳥神社(おおとりじんじゃ)は酉の市(とりのいち)でにぎわう。累塚(かさねづか)で知られる祐天寺(ゆうてんじ)は1718年(享保3)創建である。南東端の大岡山には大田区域にかけて東京工業大学がある。恵比寿駅に近い区東端のビール工場跡地は再開発され、デパートホテル東京都写真美術館などがある恵比寿ガーデンプレイスとなっている。面積14.67平方キロメートル、人口28万8088(2020)。

[沢田 清]

『『目黒区史 資料編』(1962・目黒区)』『『目黒区史』(1970・目黒区)』


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日本歴史地名大系 「目黒」の解説

目黒
めぐろ

現在の目黒区を流れる目黒川の両岸付近に比定される中世からの地名。建久元年(一一九〇)一一月の源頼朝上洛の際の後陣の随兵のなかに目黒弥五郎がおり(「吾妻鏡」同月七日条)、承久の乱の際には承久三年(一二二一)六月一三日の山城宇治橋合戦で目黒小太郎が負傷しているが(同書同月一八日条)、鎌倉御家人目黒氏は目黒を本拠(名字の地)とする武士と考えられる。なお現在の中目黒地区の台地には目黒氏館跡の伝承がある。北条氏所領役帳によれば、江戸衆で江戸廻に属する太田源七郎の知行地として「目黒本村」が鈴木分とともに一七貫五〇〇文と記され、同じ江戸衆の有力家臣であった島津孫四郎の二一貫文の知行地永福寺えいふくじ(現杉並区)について「目黒ノ内ニも有之」と記されており、島津氏の知行地が目黒にもあったとみられる。

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改訂新版 世界大百科事典 「目黒」の意味・わかりやすい解説

目黒 (めぐろ)

東京都南部の地名で,特別区としての名称でもある。区部の人口は26万8330(2010)。古くは〈免畔〉とも記した。武蔵野台地の南東部を占め,目黒川をはじめとする河川が台地を刻み,坂が多い。地名の起りは諸説あってはっきりしないが,古くから目黒不動(滝泉寺)の所在地として知られ,とくに寛永年間(1624-44)徳川家光によって普請がなされてからは,江戸市民の行楽地としてにぎわった。江戸市中へキュウリやたけのこなどの野菜を供給し,将軍家の鷹場も置かれた。明治に入ると陸軍の練兵場などが置かれ,1907年には目黒競馬場が開設され,32年に第1回日本ダービーが行われたが,33年府中に移転した。明治中期から日本麦酒醸造会社など近代工場が立地し始めた。大正末期から昭和初期にかけて現在の東急目蒲線・東横線・田園都市線,京王井の頭線が通じるとともに,自由が丘,洗足をはじめとする高級住宅地が形成された。また現在は東京工業大学,東京大学教養学部などの教育機関が集中するほか,日本近代文学館や日本民芸館などがあり,白金の国立科学博物館付属自然教育園,東京都庭園美術館にも近く都内でも有数の文教地区である。行政上,目黒と称する町名には,目黒,上目黒,中目黒,下目黒,目黒本町がある。なお山手線目黒駅は品川区上大崎にある。
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百科事典マイペディア 「目黒」の意味・わかりやすい解説

目黒[区]【めぐろ】

東京都の特別区。1932年旧荏原(えばら)郡目黒,碑衾(ひぶすま)の2町が合併して成立。武蔵野台地上の農村であったが,関東大震災後とくに1920年代に東急目蒲線(現・目黒線),東横線が開通して以来,住宅地として開発された。明治末には目黒競馬場もおかれていたが,1933年府中市に移転した。東大教養学部,同先端科学技術研究センター,東京工大などの教育・研究施設,目黒不動として有名な滝泉寺,祐天寺,円融寺などがある。隣接する品川区内に山手線目黒駅がある。14.67km2。26万8330人(2010)。
→関連項目行人坂駒場東京工業大学

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動植物名よみかた辞典 普及版 「目黒」の解説

目黒 (メグロ)

植物。カエデ科の落葉高木,薬用植物。メグスリノキの別称

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世界大百科事典(旧版)内の目黒の言及

【マグロ(鮪)】より

…【谷内 透】
[日本人とマグロ]
 古く日本人はマグロを〈しび〉と呼び,のちに《和名抄》に見られるごとく〈鮪〉の字をあてるようになった。室町末期ころから〈しび〉の小型のものを目黒(めぐろ)というようになり,目黒からマグロの語が生じたともいわれる。ところで,マグロほど昔と今で日本人の評価が変わった魚はない。…

※「目黒」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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