大塚有章(読み)オオツカ ユウショウ

20世紀日本人名事典 「大塚有章」の解説

大塚 有章
オオツカ ユウショウ

昭和期の社会運動家 毛沢東思想学院名誉院長。



生年
明治30(1897)年1月22日

没年
昭和54(1979)年9月8日

出生地
山口県岩国市

別名
別号=衛

学歴〔年〕
早稲田大学〔大正9年〕卒

経歴
河上肇の義弟。大正末から共産党員として活動、昭和7年、川崎第百銀行大森支店を襲った赤色ギャング事件で検挙された。出獄後、渡満して満州映画に勤務。31年8月帰国。日本共産党に再入党、大阪で日中友好運動で活動。日中友好協会常任理事、同大阪府連合会理事長を務めた。41年10月、中ソ論争で中国支持を主張、大阪府委員会除名。西沢隆二らと毛沢東思想研究会を設立、同年12月に訪中。また日中友好協会分裂で同協会「正統」に所属し大阪府本部副会長、42年同協会「正統」常任理事。43年、毛研を離れ毛沢東思想学習会を設立、大阪日中友好学院院長となり、44年には社会党左派系の安保体制打破同志会委員など歴任。著書に「未完旅路」(全6巻)、「新中国物語」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大塚有章」の解説

大塚有章 おおつか-ゆうしょう

1897-1979 昭和時代の社会運動家。
明治30年1月22日生まれ。昭和7年東京で共産党にはいり地下活動をおこなう。義兄河上肇の地下潜入をたすけ,党資金獲得のため赤色ギャング事件をおこし検挙されて服役。出獄後は満州映画協会に勤務,敗戦後中国革命に協力し31年帰国。日中友好協会正統派大阪府本部副会長をつとめた。昭和54年9月8日死去。82歳。山口県出身。早大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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