大壇古戦場跡(読み)おおだんこせんじようあと

日本歴史地名大系 「大壇古戦場跡」の解説

大壇古戦場跡
おおだんこせんじようあと

[現在地名]二本松市大壇

戊辰戦争の時、二本松藩の少年たちが西軍と戦った場所。慶応四年(一八六八)七月二九日、西軍の薩摩鹿児島・土佐高知・近江彦根・美濃大垣・武蔵忍・上野館林・下野黒羽各藩兵約一五小隊が二本松城を目指し奥州道中を北上、高越(たかこし)村正法寺(しようぼうじ)集落に達した。大壇集落は正法寺集落の北約五〇〇メートルにあり、当日大壇口には二本松藩砲術指南の長子である木村銃太郎(二二歳)が、少年たち二〇名ほどとともに大砲一門を中心として陣を布いていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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