大峪城跡(読み)おおがけじようあと

日本歴史地名大系 「大峪城跡」の解説

大峪城跡
おおがけじようあと

[現在地名]富山市五福

旧井田(いだ)川に沿って築かれた平城。城主片山伊賀守の名にちなみ伊賀(いが)城とも称される。五福(ごふく)小学校一帯が城跡にあたり、現在本丸跡の高台には校舎が建つ。付近の小字に城割(しろわり)・城(しろ)ノ下割(したわり)があり、城跡の名残をとどめる。「三州志」によると、前田利家が佐々成政に対する押えとして築いたもので、天正一三年(一五八五)、白鳥(しらとり)城が佐々成政攻めの羽柴秀吉の陣城となった際、同城より片山伊賀を当城に移し置いたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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