大峪城跡(読み)おおがけじようあと

日本歴史地名大系 「大峪城跡」の解説

大峪城跡
おおがけじようあと

[現在地名]富山市五福

井田いだ川に沿って築かれた平城。城主片山伊賀守の名にちなみ伊賀いが城とも称される。五福ごふく小学校一帯が城跡にあたり、現在本丸跡の高台には校舎が建つ。付近の小字に城割しろわりしろ下割したわりがあり、城跡の名残をとどめる。「三州志」によると、前田利家が佐々成政に対する押えとして築いたもので、天正一三年(一五八五)白鳥しらとり城が佐々成政攻めの羽柴秀吉の陣城となった際、同城より片山伊賀を当城に移し置いたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

大寒の用語解説を読む