日本歴史地名大系 「牛ヶ首用水」の解説
牛ヶ首用水
うしがくびようすい
〔開削の歴史〕
加賀藩三代藩主前田利常が、婦負郡
寛永九年、藩主利常が用水の実地を視察し、指示を与えたという。同年新用水本江はほぼ完成した。この新用水によって新田が開かれ、畑地の水田化が進んだ。その結果、古田一万八千九二七石余、先開畑直し二千五二六石余、当畑直し・新開とも四千四二〇石余の合計二万五千八七五石余の美田が開かれた(牛ヶ首用水史)。翌一〇年一〇月、用水運営に関する一二ヵ条の規定が定められ、水請村四二村の肝煎の間で厳守が約束された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報