牛ヶ首用水(読み)うしがくびようすい

日本歴史地名大系 「牛ヶ首用水」の解説

牛ヶ首用水
うしがくびようすい

江戸時代初期に開削された神通川左岸の大用水で、山田やまだ川・井田いだ川、最終的には神通川から取水井田川呉羽山くれはやま丘陵の間を北流してはつヶ山付近で四方に分流する。牛ヶ首の名称は、用水工事最大の難所であった八ヶ山切通し作業の際、牛岳うしだけ明神の神託により牛の生首を生贄に捧げて人夫の士気を高め、工事を成功させたことによるという(牛ヶ首用水史)。また四万石の美田を潤したといい、俗に四万石しまんごく用水ともよばれた(神通川誌)

〔開削の歴史〕

加賀藩三代藩主前田利常が、婦負郡八町はつちよう村の善左衛門、同郡小竹おだけ村の久右衛門、射水郡しも(現下村)の長左衛門ら近隣三三ヵ村の村役人の訴願を入れて許可した。用水方奉行に池内太左衛門を任命し、用水開削の総指揮をとらせた。寛永元年(一六二四)八月一六日に鍬始めが行われた。山田川に取入口を設け、幅二間の用水路で婦負郡を貫流し、下流は射水郡の東部一帯を灌漑するという構想であった。同三年、飛騨から大工水間甚右衛門らを招き、橋・水門・筒木・樋口・筧・貫樋などの施設の造成に着手した。新田開発の方針は、新村を立て蔵入地とし、開発三年後に免を定めるとしている(以上「牛ヶ首用水方旧記」牛ヶ首用水土地改良区蔵、以下とくに断らない限り同旧記による)。翌四年には新田の増加による用水量の増加を見込んで、山田川に加えて井田川からも取水することとし、婦負郡高田たかた(現婦中町)地内に取入口を設けた。

寛永九年、藩主利常が用水の実地を視察し、指示を与えたという。同年新用水本江はほぼ完成した。この新用水によって新田が開かれ、畑地の水田化が進んだ。その結果、古田一万八千九二七石余、先開畑直し二千五二六石余、当畑直し・新開とも四千四二〇石余の合計二万五千八七五石余の美田が開かれた(牛ヶ首用水史)。翌一〇年一〇月、用水運営に関する一二ヵ条の規定が定められ、水請村四二村の肝煎の間で厳守が約束された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「牛ヶ首用水」の意味・わかりやすい解説

牛ヶ首用水
うしがくびようすい

富山市呉羽(くれは)丘陵東麓(とうろく)から北へ射水(いみず)平野東部を灌漑(かんがい)する用水。旧婦負(ねい)郡北部と旧射水郡東部一帯は古来用水不足で干害にあうことが多かった。そのため、1624年(寛永1)加賀藩の工事として着工、1633年(寛永10)に完成。難工事で用水名は牛の首を祀(まつ)って無事を得たという故事にちなんでつけられた。この用水で2万5000石の開田と新しい村々ができた。その後、富山藩領となり、井田川沿岸の新田開発のため水不足となったので、取水口を神通(じんづう)川に求め、富山市婦中(ふちゅう)町成子(なるこ)から取水した。現在は神通川第三ダムから取水する。富山市に牛ヶ首神社がある。

[深井三郎]

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