大島正徳(読み)オオシマ マサノリ

20世紀日本人名事典 「大島正徳」の解説

大島 正徳
オオシマ マサノリ

大正・昭和期の哲学者,教育家



生年
明治13(1880)年11月11日

没年
昭和22(1947)年4月21日

出生地
神奈川県高座郡海老名村(現・海老名市)

学歴〔年〕
東京帝大文科大学哲学科〔明治37年〕卒,東京帝大大学院〔明治42年〕修了

学位〔年〕
文学博士

経歴
明治45年東京帝大文科大学講師、大正5年助教授となり第一高等学校教授を兼任。14年東京市学務局長事務嘱託、同年教授となったが1日で依願免。その後講師を続けた。その間東京文理科大学、東洋大学、日本女子大学などで教鞭を執った後、東京市の初代学務局長、教育局長、市会議員となった。帝国学士院会員、帝国教育会理事も務め、かたわら内外教育評論社主幹、世界連合教育会副会長となり海外留学、学事視察、万国学士院連合会議出席、世界教育会議日本代表とし欧米に派遣され、昭和12年東京で開いた第7回世界教育会議の事務総長、アジア代表副会長に選ばれた。戦後教育刷新委員会会長を務めた。著書は「思索の人生」「倫理学概論」「哲学概論」「哲学の話」「西洋哲学史概説」「日本文化と国民性」「昭和公民読本」「我が哲学を語る」など多数。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大島正徳」の解説

大島正徳 おおしま-まさのり

1880-1947 大正-昭和時代の教育家。
明治13年11月11日生まれ。母校東京帝大の助教授などをへて,大正14年東京市教育局長となり,帝国教育会理事などをかねる。昭和12年第7回世界教育会議日本事務局の事務総長。戦後は教育刷新委員会委員をつとめた。昭和22年4月21日死去。68歳。神奈川県出身。著作に「昭和公民読本」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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