日本歴史地名大系 「大川瀬村」の解説 大川瀬村おおかわせむら 兵庫県:三田市大川瀬村[現在地名]三田市大川瀬・つつじが丘北(おかきた)・つつじが丘南(おかみなみ)上相野(かみあいの)村の西に位置し、北は丹波国多紀(たき)郡木津(こつ)・釜屋(かまや)両村(現篠山市)、南は播磨国美嚢(みのう)郡山口(やまぐち)新田(現吉川町)。東条(とうじよう)川流域の丘陵および山地に立地する。大川瀬断層が走る。初め馬巻(うままき)村と称したが、文永二年(一二六五)呼称を嫌い大川瀬村と改称したという(有馬郡誌)。永正五年(一五〇八)二月四日、「大かわせ」在住の左近二郎が清水(きよみず)寺(現社町)のそけい坊に田地一段を売渡している(「左近二郎田地売券」清水寺文書)。慶長国絵図に大川瀬村とみえ、高三一二石余。正保郷帳では高四二三石。その後湯谷(ゆや)新田・大谷(おおたに)新田を分離(「御領分御高付覚」九鬼家文書)。しかし江戸時代を通じて郷帳類では大川瀬村一村で高付され、天保郷帳では高四九五石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by