日本歴史地名大系 「大平弾正墓」の解説 大平弾正墓おおひらだんじようのはか 高知県:幡多郡大方町奥湊川村大平弾正墓[現在地名]大方町奥湊川元弘の乱で土佐に流された尊良親王を上川口(かみかわぐち)に迎え、有井庄司とともに忠誠を尽したと伝える武将の墓。字殿奈呂(とんなろ)にあり、碑の裏面に「文政六年未年再興」とある。親王を迎えた弾正は自分の領地奥湊川(おくみなとがわ)の館に導き仕えたが、口湊川(くちみなとがわ)に北条方の米津山城守がいて危険だったので、有井庄司と相談、協力して親王を王野(おうの)山へ、さらに米原(こみはら)へと移して(→蜷川村)、忠勤を励んだ。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by