大平弾正墓(読み)おおひらだんじようのはか

日本歴史地名大系 「大平弾正墓」の解説

大平弾正墓
おおひらだんじようのはか

[現在地名]大方町奥湊川

元弘の乱で土佐に流された尊良親王上川口かみかわぐちに迎え、有井庄司とともに忠誠を尽したと伝える武将の墓。字殿奈呂とんなろにあり、碑の裏面に「文政六年未年再興」とある。親王を迎えた弾正は自分の領地奥湊川おくみなとがわの館に導き仕えたが、口湊川くちみなとがわに北条方の米津山城守がいて危険だったので、有井庄司と相談、協力して親王を王野おうの山へ、さらに米原こみはらへと移して(→蜷川村忠勤を励んだ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 米原 ヶ崎

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む