日本歴史地名大系 「蜷川村」の解説
蜷川村
にながわむら
筑後川中流左岸に沿う。上三郡絵図によると当村西部で筑後川が南に大きく湾曲し、川中には「掘替新川筋、御井郡堰ヨリ小瀬川出迄六百弐拾壱間」と注記され、その新川の東側に八〇間の堰所で堰止められた
本高は七三八石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」では古高八四〇石・役高九七二石。
蜷川村
にながわむら
村名は天正一八年(一五九〇)の入野七郷内地検帳にみえ、検地面積は三〇町余、屋敷数四三、うち居屋敷二〇。佐竹彦次(二)郎分と「タイノ大方殿分」によって占められ、村内の「土ゐ」(「下ヤシキ」二反三四代)にタイノ大方殿が住んでいる。一条氏一門ないし公家衆と思われる同氏の拠点であったと思われる。
蜷川村
にながわむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報