大忍荘(読み)おおさとのしょう

改訂新版 世界大百科事典 「大忍荘」の意味・わかりやすい解説

大忍荘 (おおさとのしょう)

土佐国香美郡東部(現,高知県香美市東部,香南市北西部)の荘園。古代の大忍郷が荘園化したもので,領主史料を欠くため立荘・伝領の事情はよくわからないが,鎌倉時代に北条氏,極楽寺,有栖川家,熊野社との関係がみられ,南北朝初期には熊野新宮の造営料所,室町に入っては細川氏,京都の臨済宗寺院の支配が想定される。阿波国境から土佐湾に至る広大な辺境型荘園である当荘は,平野部で政所の置かれた山北・山南・徳王子・岸本,丘陵性地形の東川・西川,山岳地帯である槙山に三分され,東川・西川・槙山では各専当職が現地の荘務に当たった。一般に年貢の斗代は低く,木材薪炭など山林関係の公事が目立つ。各百姓名は南北朝ごろより脇名を分出,室町期には有力名主たちの惣村結合も盛んとなるが,戦国期に入ると安芸,山田,香宗我部ら周辺地頭が進出,1547年(天文16)ころの長宗我部氏の制圧をもって荘園の歴史は終わる。
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